藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

全ては自分で。

*[次の世代に]環境は選択。
仁というテレビドラマで、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という台詞があった。
実際には全然乗り越えられない試練もいっぱいあると思うが、自分たちが出会ういろんな難題というのは、その時の自分が「遭遇するにふさわしい環境とレベルの結果」だとも言えるのではないだろうか。
つまり「自分が"自分に起こる問題のレベル"を決めている」のだ。
例えば今の自分には「日本の国難を救う」とか「人類の食料問題を解決する」とかいう話はあまり降ってこない。
当たり前で、自分はそういう世界にはいないし、そういう力もないからだ。
 
「会社の資金繰りがどう」とか「お客様のクレームがどう」とかそういった自分の身の丈にあったような問題が次々と現れてくるものである。
 
つまりは「自分が出会う難儀の元は、実は自分にある」ということではないだろうか。
全てが自己責任ではないと思うが、長く生きていくうちに、少しづつ自分の生きる環境を選択し、自分で意思決定をしていくことで、自分たちは実は「自分の環境を選んでいる」という気がするのだ。
 
自分にも経験があるが、今ある環境を嘆くより、「過去を見てこれからの選択を考える」というのは前向きに生きる鉄則だと思う。
 
「神は乗り越えられる試練をのみ与える」というのは、まさしく「自らがその試練を選び超えていく」というなのだろう。
 
今いるこの世界は私の選択の結果です。