藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

昭和の呪縛(3)

*[次の世代に]若者で見直し。
自分が就職した30数年前、あれほどうるさく身だしなみやマナー教育があったのに…
今回のコロナ騒動は、スーツはおろか出勤と言う常識すら吹き飛ばしてしまった。

誰もが思っていたけれど口に出さなかったこと。

「この会議なに」「この朝礼なに」「この出張なに」「この接待なに」「この稟議書なに」「通勤てなに」…

つまりこれほどのことがないと、世界的に習慣と言うのは変わりにくいとも言える。

ホワイトカラーのユニフォームと言う位置づけだったスーツとネクタイ。

なかなか誰もが言い出せなかったけれど、「いらないんじゃね?」と言うふうに一定の数の1人が思い始めれば、どこかのタイミングで完全に常識がひっくり返るということがこの度は露呈した


そして、さらにこうした“動かし難かった常識“が他にもたくさんあり、コロナを機会に見直しを始めようと言う声もあちこちから出ている。

これも今回のコロナのもたらしたものだろう。

 

そうした儀礼や習慣もさりとて、さらにはその先の「そもそも仕事って何よ」とか「そもそも何のための仕事なのよ」と言うことにまで思いが至った人も多いのではないだろうか。

なんとなくお金を稼いで、生きていくのに当たり前だった自分の仕事だが、そろそろ本当に自分がやりたい、やるべき仕事を考えながら生きていく時代が始まったのかもしれない。

 それほど常識とか習慣とかいうものは、常に「若い人の目」で見直さねばならないのではないだろうか。