*[次の世代に]苦労は誰のため。
若い時の苦労は買うてでもせよ、と高校の先生に言われた記憶があるが「そんなもん誰が買うかい」と思っていた。
自分はラクして大学に受かりたい、という動物的な生き物だった。
それはともかく。
最近飲食業などで苦労している若手と話していると、純粋に「いい苦労をしてるなぁ」と思うことが多くなった。
みな、違う業態を考えたり、将来のお金を考えたりしている。
それだけ自分が老人になっているということだが(嘆)、自分も若いころは毎日そんな「苦労」と格闘していたことを思い出す。
ただ今思えば、当時はその戦う相手を「敵」とか「勝ち負け」という目線で見ていたと思う。
それは違った。
彼らは敵ではなく「練習を共にする盟友」だったのだ。
毎日が苦しかったから、周囲を「仮想敵」に見立てて自分を鼓舞していたのだが。
そして思う。
苦労は他人のためならず。だ
理屈で云々いうのではなく、実際に「苦労に身を浸してみてから分かること」が世の中には圧倒的に多いものだ。
評論家ではなく、学者でもなく、実際に「ぬかるみに入る人」が一番強くなる。
もちろん、今の自分だってぬかるみの中にいる。
(つづく)