藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

入れ替え思考(1)

*[次の世代に]苦労は誰のため。

若い時の苦労は買うてでもせよ、と高校の先生に言われた記憶があるが「そんなもん誰が買うかい」と思っていた。

自分はラクして大学に受かりたい、という動物的な生き物だった。

それはともかく。

 

最近飲食業などで苦労している若手と話していると、純粋に「いい苦労をしてるなぁ」と思うことが多くなった。

みな、違う業態を考えたり、将来のお金を考えたりしている。

 

それだけ自分が老人になっているということだが(嘆)、自分も若いころは毎日そんな「苦労」と格闘していたことを思い出す。

ただ今思えば、当時はその戦う相手を「敵」とか「勝ち負け」という目線で見ていたと思う。

それは違った。

彼らは敵ではなく「練習を共にする盟友」だったのだ。

毎日が苦しかったから、周囲を「仮想敵」に見立てて自分を鼓舞していたのだが。

そして思う。

苦労は他人のためならず。だ

理屈で云々いうのではなく、実際に「苦労に身を浸してみてから分かること」が世の中には圧倒的に多いものだ。

評論家ではなく、学者でもなく、実際に「ぬかるみに入る人」が一番強くなる。

 

もちろん、今の自分だってぬかるみの中にいる。

(つづく)