藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

正常化(1)

*[ウェブ進化論]学びは自由に。

中学生位の子供を持つ親御さんたちと話していると、最近「学校に行かない子供が増えている」らしいことが話題になっている。

勉強が嫌いとかいうことではなく、ただ集団生活になじめないのだという。

親御さんはさぞや心配かもしれないが、自分はとても自然なことではないかと思った。

自分にもそんな性質があったのだ。

 

ただし自分の時代には(ワオ、半世紀前や)不登校=非行少年くらいの扱いだったから仕方なく、いやあえて「そういうこと」を考えずに同調していたに過ぎない。

そもそも6歳になったら一斉にランドセルを背負い、これから自分たちは何を学んでいくのかも十分に知らされず、ある日突然「さくらさくら…」では訳がわからなすぎる。

 

まずは「これから皆さんは"集団で行動すること"という体験をしてもらいますねー」そして、「自分はちょっと違うなーと思えば違うことを学びましょう」といってくれれば子供なりに安心したのにと思う。

そしてそれから大学を終えて社会人になるまでずっとそのままの気分で過ごしたってことになる。

 

最近の子供たちの、むしろそうしたスタイルに違和感を抱き、自分なりで学びたいことを探すというのは正常な反応というものだろう。

ここでも脱・昭和が進んでいる。

(つづく)