藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

絶対値考

*[ウェブ進化論]評価は気にせず。
仕事の場ではよく「評価」という言葉を耳にする。
『評価:どれだけの価値・価格があるかを見定めること』
社会人になって30年以上経つが、いまだに仕事の「評価の方法が定まった」という話は寡聞にして聞かない。
 
また反対に、仕事以外の友人や家族間で「私はあなたを評価している」とか「彼の評価が下がっている」とかいう話はまず聞かない。(評判、というのはわりと聞きますが)

評価とは果たして何だろうか。

どうも自分には「他人からの見た目の指標」なのではないかと思える。

大リーグの大谷選手がどう、安倍元首相がどう、というのは皆「自分の立場からの評価」を口にしているだけで、どれが絶対ということはない。

つまり「他人の評判のバロメーター(目安)」という程度のことなのではないだろうか。

けれどそれが価値を持つこともある。

 

価値:どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。ねうち。

またこの"価値"というのも「他人の思う基準そのもの」のようだ。
「後世に評価される」とか「自分にとっては価値がある」とかどれも"絶対のもの"ではない。
 
「評価」や「価値」は絶対的なものではなく、所詮は「大多数の人たち」とか「その時代の考え方」の結果でしかないようだ。
 
できれば、その時代の「多くの人のなんとなくの基準」ではなく、確かな「自分なりの基準」を持ちたいものだと思う。
世間の評価はあまりにも移ろいやすいものだから。