藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

らせんに堕ちるように


産経ニュース

芸能人のことに明るくないし関心もない、が。


以前から芳しくない噂をまとった人たちだ。


小さなスキャンダルから、「だんだんと、でも確実に」身を持ち崩している感が強い。


大きなすり鉢を「らせんを描いて堕ちゆく」感じだ。


重力があるので、努力せず「上向き」になることはない。


最近、自分も含め「失敗」についてよく考える。


昨日の「ハインリヒの法則」よろしく、「予兆のない事故」はないのではないか。



我々は「日々の対処」にはそれほど疑念を抱かず、しかもそれらを「時系列に見通す」ことが特に苦手だ。


昔、NHKで連想ゲーム、という関連キーワードを与えられて、お題を当てる番組があったが、
頭の中でつぎつぎと単語に反応しても、なかなか正解にたどりつかないのが、

一連のキーワードを「紙に一列に書き並べ」ると、小学生でもラクラク答えていたことを思い出す。

俯瞰の目


芸能人でもないと、日常のさまざまな出来事を、いちいち他人の関心を惹くこともない。


また自分自身では、「そういった」時系列分析は苦手だ。


日記、とはそんな「目」を持つのに役立つのでは。


つまり、ブログか。


自分は小〜中学のころ悔しいことがあると、紙に「ちくしょう」とか書きなぐり、小っちゃく日付と理由を書く、ということをしていたことがある。


いつの間にか止めてしまったが、何度か見直したことがあり、「へーえ、この時はこんなことで怒ってたのか」とか「ありゃ悔しかったねぇ」とかレビューした記憶がある。


結構「他人の目」で見れるのだ。


また、殴り書きで激しい字体が、かえってマンガのような滑稽さを感じさせて可笑しかった。


ネット上のブログに自分の喜怒哀楽を「ままアップ」するのは抵抗がある、というかまだそこまでの器はない。


プライベートの物でもいい、「本音や感情そのまま」の記録を残すことを試してみることにしよう。


そんなことを思い浮かぶ、一片のニュースだった。