藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

1972年、カラヤンすでに62才。


しかしこれほど若々しい、それも積極的な指揮は初めて見た。


晩年や、没後のカラヤンを過大評価云々、という人がいるが、ともかくこれほど細かく指示し、先を読み、リードしていく指揮者は特別な存在ではないか。
むしろ「帝王」の真骨頂を見た思いがする。
(1972年, ユニテル (ドイツ )ベートーベン交響曲第七番より)

自殺とか侵略とか


洗剤を使った自殺が急激に増えているという。
ネットでは楽に死ねる、とか。


鬱になったり、自分の命を断ったり、人間はおかしな特徴を持つ。


また、「自分が生きるため」だけでなく、同種の「種」を侵略したり、殺戮したりする生き物も他にはいないという。


ライオンが自ら生き延びるためにインパラや水牛を襲う、のとは本質的に違う、「別の欲望」を人は備え、またその果てしない欲が、人の「文明」というものを形作っているのかもしれない。


でもそれが無駄な試みばかりともいえず。
人だけが備えた、その能力が結局、生き物としての「人」にその存在自身を考えることを授けたのではないか。


どう考えても、昆虫や魚類、鳥類と違い「人」に託された使命とか、業があるのではないか。


進化した物ゆえに考え、決断せねばならぬこと。
また否応ない自然との対峙。


自分たちの哲学は、やはり課せれたミッションでもあるのだろう。