例えば、演劇とか音楽とかの発表会。
例えば、面接試験。
プロポーズ。
人生、いろんな「相手ありき」の大きな勝負どき、がある。
例えば、少々大きな商談や、セミナーでプレゼンテーションする機会を得たり。
ここ一番、意中の彼女をデートに誘い、エスコートすることになったり。
そんな時のこと。
どれだけ、自分を客観的に見て、練習したか。
あの、あの時給5万ドル、でプレゼンの達人の大前研一ですら、重要な会議においては自身の姿をビデオに撮り、どのように映るかを検証したという。
(その意味では大前氏の出演するテレビ番組などは一見の価値がある。論旨や目次はいわんや。資料の示し方や、自分の立ち位置、ゲストとの対話の挿入など、あらゆることにスキがない。また氏自身の話す言葉も「一切の」ムダがなく、あまりの「冗長さ」のなさに閉口するくらいである。「論理的である」ということを究極に志向しているのだと思う。)
日々の心がけ
毎日、「重要でない」人との対話、などない。
みな、何らかの意味を持ち、お互いに影響し合う。
ならぱ。その「対話」にはむしろ全力を払わねばならないことになる。
そう。
自分たちの日常は「全力」で日々話すべき「対話」の塊なのではないか。
それを少し気を抜いたり、緊張したりしながら生活している。
「その話」をどれだけ「自分」がしたいのか。
「その心」に狂いがなければ、どれだけ準備できるのか。
結局、用意周到なだけ、成功率は上がり、また思いは伝わる。
自分の狙う結果を出すには、つまるところその結果に導くだけの戦略が必要。
人を口説くときの真剣さは、そのまま自分の意思が乗り移っている限り、とても伝わりやすい。
就職でも恋愛でも、プレゼンでも。
畢竟、重要な場面ではなかなか芝居は通じず、その人の「素」が出てくるようだ。
ふだんから相手を意識した生活を送る。
透明化するこれからは、ますますそんなコンセプトがま前面に出てくるのだろう、などと感じた次第。