藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

距離を埋める時間の単位。

*[次の世代に]対話の熱量。
たとえば、「四十年ぶり」の小学校時代の友人と話すとき。
たとえば大学生時代の友人と「十数年ぶり」に話すとき。
親しかった取引先の人と「数年ぶり」に話すとき。
同じ会社の同期と「数ヶ月ぶり」に話すとき。
いつもの仲間と「数日ぶり」に会話するとき。
 
離れた期間が長ければ長いほど、「時間の距離を埋めるには」それなりの時間がかかる。
けれど、案外「数ヶ月ぶりに会う家族との話」との間の話だって時間がかかる。
 
肉親だから、親友だから、仕事仲間だからと「人間関係の濃さ」は決まらないらしい。
かなり近くにいるお互いでも「案外と疎遠」だと感じることはないだろうか。
 
そしてそして。
これは「恋愛中のカップル」にも通じると思う。
割と頻繁に会っていても。
遠距離で付き合っていても「一度の逢瀬の時間の長さ」は重要なことだという気がする。
"一回会って2時間だけ話して別れる"のでは埋まらない溝がある。
もう少し時間が欲しいのだ。
自分の経験上から言えば、2時間では足りない。(と思う)
一回に4時間あれば、ずい分違う。
6時間あれば十分ではないだろうか。
 
人が相手と会って話し、いろんなことを会話して安心するまでの時間は「4から6時間」なのではないだろうか。
大国の大統領も、外交の専門家も「4-6時間」を基本単位に行動してみてはどうだろうか。