藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プレッシャーの中で

北島が平泳ぎ100mで金を取った、となニュースで聞く。


ほとんどスポーツ観戦に興味のない自分だが。
でもヒーロー好きだったり。


期待などしていなかった。
というか、そんなにがんばってるアスリートに「結果の期待」だけをするなんて、酷ではないか。と思っていた。


みな鎬を削って研鑽しているのだ。
順位だけをどうこう言うことは、単なる物見遊山ではないか。


逆に言うと。
連覇とか、世界新とか、そんな「いたずらな期待」だけを大衆が膨らまして、ヒーローたちを遊ぶのは違うのではないか。
とずっと思っていた。


それでも北島の勝利の瞬間、だけは映像が見たくて、帰宅してテレビを漁る。
ちくしょう、録画しとくんだった!!



オリンピックではビッグネームとか、頂上決戦とかも案外あっさりと始まる。
バタフライ女子の案内をしていたと思ったら、すぐに平泳ぎ男子。


おもむろに現れた北島も、一瞬水に手をやって、すぐにスタート台へ。
「ビョン!」というブザーと共に一気に決勝ステージに。
50m折り返しでは二位で、その後は一秒近く差をつけた世界記録でゴールへ。


連覇の凄み

オリンピックでの数々のメダリストたちが語る。

「四年以上もモチベーションを保ちつづけることは、困難だ」と。


また「世間に期待される人」ほどプレッシャーに潰れやすい。とも。


どちらも当たり前である。

一つ勝利したのち、その後にはどれほどの「合間」があるのか。
その「合間」をどのように埋め、その後につなげていくのか。


自分たち傍観者が想像を絶する、恐ろしく時間を費やした禁欲的なプラクティスがずーーっとあったに違いない。
そして、それを「精神的なもの」を支柱に支えていかねばならぬ。


肉体と精神の限界、を見るような努力だろうことは想像に難くない。


・まず勝者となること。と
・その位置を保ち、ふたたび勝者となること、の間には「ケタ違い」の維持能力が必要なのではないか

と思う。


北島選手の偉業に、勇気づけられると共に、その傾けられてきた努力の片りんを見て、ただ感動する。
肉体的に最高のアスリートは、メンタルでも最高レベルの修行者なのだ、ということを教えられた一シーンだった。


今後も活躍されますよう!!!