藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

pcの設定

今いち、「あちら側(google)」の、特にテキストエディタやメーラの反応が遅いのが気になって使っていなかったのだが。



ここのところ、pcの入れ替えとか、引越しとか、なんやかやで。

OSもWin-xpとかvistaとか色々。


メーラーの設定とか、アドレス帳とか、スケジュールとか、単語辞書とか顔文字とか。

ブラウザのレイアウトとか、フォントとか、使い心地の悪いこと。


もう限界。

ぜーんぶgoogleに移行することに決めた。

なんだか他人の家に金庫を置いているような気分だが。



ネットに接続できる機器が増えるにつれて、こうなることは十分予想できたはず。


MSは自社osが増えるにつれれて、いや一ユーザが複数個のosを所有するにつれ、ローカルのデータ管理から解放され、「どこか一箇所」を求める、ということをもっと早く対策すべきだったろう。


まだ遅くはない。


とりあえず、最も大事な牙城であろう、ローカルpc環境(まあosのシェア)を守るためにも、環境の「一括管理」エリアをネット上に一括で準備してはどうか。



オフィス製品関連はすでに切り崩しが始まっているし、スケジューラも旗色が悪い。


隠れたユーザの声とも思う。
今からでもぜひ検討してくれないだろうか。

技術として、製品として


どうしてもハードウェアの進歩と、それに追随するプログラム(OS)の肥大化、というような話はユーザの目に触れにくい。


製造業よろしく、「ものづくり」の現場にいればいるほど、それを求める「客の像」が合わなくなっていくのではないか。


顧客は存外、その性能や規模、ではなくその時の気持ちに応じた臨機応変な受け答えを望んでいたりする。

osやアプリケーションはどの程度使えればいいか。

とか。


技術は引き続き進むにせよ、ユーザーが最も使いたいレベル、というのは意外にベンダーにも届いていないのではないか。


エンジニアたちを見て、ふとそんな乖離に思いが及んだ。


技術の高度化は、よりその細分化を促す、とはどこかの天才科学者の言ですが、そういったことを現職ながら追及しているひとは皆無に等しい、ということにも最近気づいた感がある。