藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

六十代から


まったく不思議なもので、「自分の年以下」のことなら、いくらも思うことがあるくせに、目上の世代を考えるととたんに霧がかかったよう。


ただここ最近はみな長命になり、六十を迎えた人たちの一際「元気なこと」は論を待たない。


六十で定年、というのは時代が遅れているのだろう。
ただし、日本の場合「職業のパイ」そのものが減少しているのだから、「元気だから働ける」という状況にはないようだ。

先進国はみながサービス業に就く、という風に考えることもあり、ますます「実質定年」は早まるのではないか。

もっと働かねばならぬなら「脱サービス業」しかない。
農林水産業や、製造業の周辺に職を求めるべきだろう。


たくわえの多寡にもよるが、「リタイア軍」の欲するのは報酬ではなくと「社会参加」なのではないか。
よく大量退職する団塊の世代に向けてマーケティングをかける、という話を聞くが、どうも違和感を感じる。


団塊世代の人たちが本当は何を望んでいるか、また下の世代からは何を期待されているのか、という基本からアプローチするのだろう。

そしてアッパー70へ


それにしても、リタイア年齢が早まり、体が(さらに「気」も)元気なのに社会から途絶する、というのはもっとも酷い仕打ちではないか。
第一もったいない。
さらに団塊世代は、その上の「生きているもっとも濃い智」と直接つながっている。


この上の世代はほぼ「ネット」からは途絶しているから、ぜひこの間をつないでもらいたい。

ネット上に「アッパー70」の意見のなんと少ないことか。
皆無ではないか。


自分の想像する70代、は「智を遺す」ことを主眼にしたい。


もっともその頃に、智が残っていないと、話にならないけれど。


「自分の気持ち」がwebに残って後世に届くなら、これほどの「確かな軌跡」も他にはない。

ブログがメディアでもある、といいうのは発信する側からの素直な思いなのだ。