藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

負けが見えてから


これまでの自分を振り返って、また目に触れる人たちを見ていての結論。

行く先を考えること
方向を定めること
目的地を決めること
コツコツと日々積み上げること
行く先を見失わぬこと
周りを見ること


そしてかつ、

ゆえに、諦めぬこと


なんかが、重要だと思う。
自分でいえば、大した経験はないが、「試練」と思える事態に直面したことを回想すると。


若かった順に
・家族や友人などの人間関係
・進路とか受験とか
・恋愛、異性
・就職、仕事
・結婚、子供
・再び仕事とか、経営とか
・老いについて


そんなことがハタハタと思いつく。

人間誰しも、何についても悩むし、「自分にとっての悩み、は自分にとっての最大の悩み」であるから傍から見ていればなんでもないような「石ころ」に躓いてドッテンとこけたりする。


最近若い人は「心が折れる」という表現を使う。
「その一言で、彼の心は折れてしまったんです」というのは当人の気持ちをよく表しているのだろう、面白いものだ。


それで、人生大事も小事もいろいろ起こる。
それで、人間は因果なことにともかく色々悩むようにできている。と思う。


それでアラと思った簡単なこと。

プロセスの一つ


起業するとか。
転職するとか。
結婚とか。
受験とか。
新プロジェクトとか。


どれ一つとっても初めから終わりまで波風のないもの、などない。
色々、凹凸がある。
凹凸のないほうが不自然だ。


いや、凹凸どころではない。

「もうダメかも」ということが起こらないプロジェクトなどない。


それが人生ってもんなんじゃないか。


で、何がいいたいか。

それでいいのだ。
(天才バカボンはやはり天才だ)

というか、それで「折れる」必要など微塵もないのだ。
すべては「それから」なんである。


敗色濃厚。
もう後がない。
脂汗をかいたり、言い知れぬ絶望感がヒタヒタと周囲を包む。
チラチラと、いやかなりはっきりと「敗北」の二文字が見える。


いや待て。これは通るべき道なのだ。


むしろ、これこそ。


成功への予兆かも知れぬ。


そんな山を登り、坂をくだり、鬱蒼とした森を抜けてこそ、目的地に着く。
「そんなの」がない旅は、そもそも大した旅ではないのである。

何かに挑戦する、ということは常に「負け」と向き合うことかもしれぬ。

これが自分の中の要諦の一つのようだ。


負けそうになった、その時からが本番なのだ。


人の精神は、強くあり、強くなるものである。