藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

イベントは予想外。


色んな突発的なイベント、は何かと計画性を損なう。
大事な時間が簡単に消化されちまう。


また、逆に「そういうの」がまったくないとどうか?
「毎日のルーティン」すらなくなると、また我われは、「定位感」を失うのではないか?とも思う。
人間とは難しいものだ。

不思議なもので、自由は欲しいのに、自由すぎたら不安になる、というのが人の心か。いやはや手の掛かること。

とどのつまり。
やりたいこと、をどのくらい沢山もっているのか。
そんな人生への積極性が、人生の過ごし方そのものをも決定してゆく。


その反対が「周囲のイベント」に振り回され、そのまま時間をすり潰していく生き方か。


もしも時間やお金があったら。
この世でぜひやっておきたいこと。
そんなことは、常に考えていた方がいい。


また自分の価値観を測る目盛りにもなるし。。

そこに、カネで解決できるような「物的」なことばかりがあれば、自分はそんなもん、なのである。そこに「パートナーと楽しむようなこと」が上がっていれば、それが望みなのだろう。


このトシにして思えば、自分は一体、自分の人生において、何が望みなのか、というテーマを自分たちはしばしば見失う。
というかそもそも「そんな風」に考えない動物なのだ。


目先の感情で目が眩み、「真に重要なこと」に考えが及ばぬと、思わぬ回り道をすることになる。
と言ってみても、凡人の人生などそんな折れ曲がりの連続なのか。


これからのこと、少なくとも「必ずやっておきたいこと。」はハズさずに考えておこう、と思い至った秋の夜長。
ボジョレヌーボでも飲みながら。


うふふ。