- 作者: 矢部正秋
- 出版社/メーカー: 成美堂出版
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 文庫
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本著では前段、著者は「仕事に燃え尽きてしまわない」そんな仕事への向きあい方、自らの経験を中心に語った。
エリートであり、その中でも渉外弁護士という過酷な経験の中でも「考え続ける」態度が「仕事につぶされる人生」を「仕事も楽しむ人生」に変えたくだりは説得力がある。
そして最後に著者はパスカルの例を引いて「享楽に日々を過ごさぬよう」と注意をうながす。
天才数学者で、数々の実績に輝くパスカルが、社交界に出入りし、その「虚栄」に耐えきれず三年でポール・ロワイヤルに隠遁。
そこで書かれたのが「パンセ(仏語で「思想」の意)」だったという。
「考える葦」のこの一節は、なにか人間というものを裸で見ているようで、でも明るい何かを感じずにはいられない。
思索とはこういうもののことだろうと思う。
味わい深い一節も引用しておく。
人間はひとくきの葦にすぎない。
自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である。
彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとえ宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。
我われは微力だが、「考えること」においては唯一の存在なのだろう。
その時ばかりは非力な人間も、神々しく思える。
「考える葦」そのものなのだ。
孤独を楽しめること
最後に著者は、かの悲観主義者、ショーペンハウアーを再び引く。
「精神力豊かな人は孤独であっても空想の世界で大いに楽しむことができる。だが精神の貧しい者ほど孤独を嫌う」。
精神の優れた人にとっては、孤独は自分の思想に専念することができるから、むしろ歓迎すべきである。
自分に自足して生きる「賢者の孤独」こそ幸福の極地、とかれは考えたのである。
何かさみしさを感じ、我われはつい「群れたり」する。
精神が「豊かか貧しいか」というのは一概に言いにくいが、「孤独」に対する己の向きあい方、ということかと思う。
安直に人と群れ、会話をしあって時を過ごすのは、時には楽しく、心がまぎれる。
しかし自分の時間は有限。
時間にそうケチケチせずとも、学ばねばならぬこととか、考えておかねばならぬことは山ほどある。
楽しい会話で過ごすだけでは済まされぬ、自分で決着せねばならぬことも、驚くほど多いものだ。
考える葦、の自分たちだからこそ、「そのこと」を自覚していたい。