藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

緊急度、優先度式、人生の生き方。


人生、いつか終わりが来るのだし、まあどの程度いろんなことに努力して日々を過ごすか、などと考えるとまああまり実感も湧くものでもなく。


特に若いうちなど、そんなこと言われても「頭で分かっていても、体はツンとも感じないワ」てな感じで、なかなか後世にその辺りの「ホンネ」は伝わらないのが相場である。


若い自分には、その類の話は「小言」以外何者でもなく、ただただ疎ましい、やらされ意識だったのは伝える側の問題か、聞く側の問題か。


さて。
受験とか、就職とか、結婚とか、出産とか、そして成功とか、失敗とか、はたまたその「どちらでもない」とか。
人生には色々なことがある。

まあ受験するとかしないとか、
就職するとかしないとか、
結婚するとかしないとか、
そんなことをいずれ自分たちは「選択する」ことになる。
あえて選択しない、というのも選択肢のうちである。


「受験」みたいに関門があってはっきり合否の出る、ある意味刹那的なもの、はともかく。
自分たちの人生はいろんなイベントを「選択していく」ということでもある。


「それ」を選択しない場合、ただそういうイベントは「通り過ぎてゆく」ことになる。
(まあ結婚とかは何歳でもできるし、むしろ年取ってからのほうがいいかもだ。はぁ。)


いろんな「外部の世界」と触れ合いながら、色んなことを「選択してゆく」ことが、それそのものが「自分の人生というやつなんだ」と思えば、さて何をえらぼうか、と「夜店に行った子供のような気持ち」になれないだろうか。


(つづく)