藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

日記の時間と、内容と。


以前は夜にブログを書くことが多かった。
静かだし、夜は色々と考え事をするものである。
よくビジネスの企画は夜にはするな、と言われるが、何かと自分本位の妄想が先行し、なかなか冷静な目でいられぬ、というのがその言の意図するところなのだろう。

「朝」日記の奇跡

「朝」日記の奇跡

朝の意味。

朝に書く。
と、夜とどう違うのか。
最大の違いは「これから寝る」のか「これから覚醒して生活するのか」という点に尽きると思う。

あったり前である。(呆)


だが、夜はこれから休むのである。
直感だが。

本能的に、「脳中」は「戦うモード」には向かわないような気がするのだ。

たとえば、翌日に相手を論理的に、しかも相手の「思う方向の逆側に説得せねばならない場合」などはその準備やストーリー構成、心構えなどには相当腐心する。


ただ、「これから休む」場合には心の中に「そのためにする覚悟」があまり生まれない。
あまりシリアスに考えすぎると、「眠れなくなる」のは重大な心配事のある前日の夜に、よく自分たちは経験することである。

夜をはさむと覚悟がニブる。

朝日記とはそんな秘密があるのかもしれない。


現にある日の自分日記を。

今日は午前はswot分析引き続き。



午後はいよいよ企業法務の実務訪問。

昨日、山本氏とも構想を話し、コンセプトはほぼ固まりつつある。

前人未到のコンサルと法務と税務のトリニティ。



久々のワクワク感が胎動してきた。


明らかに「これから数時間後に控えるイベント」に対し、ある種の覚悟というか「心の準備」が見て取れる。
わざわざ文字のすることで、何かしらの「文字の結実」(正にこういうのを「言霊」というのだろう)を生み、それが改めて「目からインプット」されることで、何か自分の行動に影響を与えるのではないか。

「朝の日記」というのはそういう「思考−アウトプット−インプット」という思考サイクルをごく短く行うためのシステムなのかもしれぬ。(確)

まあこれだけ一生懸命、本まで記す人がいるのだ。
もう少し継続して、その効果を検証したいと思う。


でも何か朝が楽しいのは十分効果が出ているのかもしれない。


ふふ。
人生、四十路になっても楽しみは尽きないものだ。