藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

朝日記の威力。


朝日記の奇跡、なる本がある。


昨年、地方出張の帰りにたまたま手持ち無沙汰で、キオスクで買ってみた。

「朝」日記の奇跡

「朝」日記の奇跡

あまりにも安直なテーマのような気がして「何言ってんの」というどちらかというとネガティブな感覚がこの本を手にとらせたと思う。
まったく「フン」という感じだったが。


340円。
パラパラと車中でナナメ読み。
やはりフーーンだった。


でしばらく、半年以上放置。
でも、どこかで気になっていたから捨てずにいた。


何か。


自分のこと。

自分が日記(ブログ)を書いていて、何も「変わっていない」という倦怠感の裏返しの感情が、そこにあった。

著者は「朝日記」をつけて、人生が変わったらしいが、自分にはそんなことはなかった。
何かを書き溜めているようでいて、何もないようでもある。
ブログは自分の言いたいこと、「分身」のようでいて、何も実体はないとも言える。
ホンネの自分は、ブログにアップできるような奇麗な部分ばかりでは到底ないからである。


ここに自分の「けれん(はったり)」が潜んでいる。


それはともかく。

朝日記の実際


当著にはいくつか、要点事項が書かれてある。
・日記は本音が話せるよう「匿名状態」あるいはプライベートなローカルファイルに書くこと。
・エクセルなどでテーマをいくつか設定すること。
・必ず朝書くこと。
・数文字でもいい、必ず毎日書くこと。


などなどである。
これもかなり横目で「ふーーーん。それで?」と思っていた。
で、長くそのままにしてきたのだが。


最近、日記とは関係なく「朝」の活用というのが自分の課題になり始めた。
四十を超えた、ここ数年に実感していることである。


そして、朝にブログを書くことが多くなる。
だが話題はそんなに本音トークでもない。
毎日何人かの人が閲覧してるので、まあそんなもんである。


そういえば、はてなの日記にはいくつも同時にブログが開設できて、もう一つ自分も持っていたことを思い出した。
「どうせ朝に書くなら、チョイとプライベート版にもメモしておくか」と言う気持ちでここ一ヶ月。

何かが違う。

一週間ほどして何かに気づいた。
「朝日記」は本当に効果があるのかもしれぬ。


(つづく)