藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

オバマの矜持。


オバマ政権が奮闘している。
そういう意味では今の「すべて」を代表している人物がオバマ氏なのかもしれない。


金融安定化法の公的資金枠から5億ドル以上の支援を受けた社の上級幹部の賞与を、年間報酬額の3分の1以下に抑えるもの。上位5人の上級役員と、報酬額で上位20人の幹部を制限の対象にしている。


とのこと。
またGMやシティなどの救済企業がターゲットだという。


アメリカといいう「一見」自由な、そして夢を体現できる「イメージとしての存在」は
いざ常識のタガをはめようとすると大変な労力を要する。

「会社がつぶれそうな時」に「自由なトップの報酬を求めてはならない」という日本的には言うまでもないことを、どの経営陣も守ろうとしない。
それはこれまでの「自由至上主義」とのトレードオフでもあるのだろう。


日本では、役員の報酬などたかが知れているし、だから「それ」にこだわって何かゴネるような人もいないし、また上場企業の役員と中小企業の社長の給与はヘタをすれば逆転するくらいのものだし、ずい分事情に差がある。

米経営者のホンネ


今回のような「公的資金注入合戦」とその後の「政府関与からの離脱運動」を見ていると、どこか「本当の経営」という本筋から離れて、成績の数字だけをこよなく愛する米企業の経営陣の姿が透けて見えるのは自分だけだろうか。


日本の経営陣はもっと愚かかもしれないが、もっと「ウェット」で、しかも自分のこと、よりも会社の体裁とか従業員のことが本当に気になっていたりするものだ。


やはり「ゲーム」というか、プレイする対象として仕事も存在し、その結果大きな報酬も得られるのだ、というアメリカ文化と、「それそのもの」が自らの「生業」であり、追究してゆく対象なのだ、と考えがちな日本では、ずい分と「職業」に対する価値観が違うようである。

日本人のそれは、単なる職業ではない。
自己実現とか、それ以上の「自らの存在を投射する何か」というものをその職業にも求めているようだ。


アメリカの金融トップの報酬の話、は結局日本人の精神性の程度、にまで思いを馳せさせる内容になっている。
日本人はおそらく、ことほど左様に「単純」ではないのだろう。


ビッグスリーの体質は自動車産業が君臨した20世紀の決算なのかもしれない。



<記事全文>

ウォール街の「強欲」にくさび オバマ政権が報酬規制を発表

このニュースのトピックス:オバマ米大統領
財務省は10日、公的支援を受けた金融機関や企業の幹部に対する新たな報酬制限を発表した。
ただ、人材流出を懸念するウォール街に配慮して、具体的な金額の上限設置は見送られた。報酬規制の強化を嫌って金融機関は公的資金返済を急いでおり、実効性には不透明な部分も多い。
政府はすべての金融機関を対象にした透明性のある報酬制度の確立も急ぐ考えだ。

 オバマ政権は、目先の利益に連動したウォール街の報酬慣例が、低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)に絡む高リスク取引に走り、「現下の金融危機を引き起こす大きな要因となった」(ガイトナー財務長官)と指摘、報酬規制の強化を金融制度改革の柱にしている。
 財務省が発表した規制は、金融安定化法の公的資金枠から5億ドル以上の支援を受けた社の上級幹部の賞与を、年間報酬額の3分の1以下に抑えるもの。
上位5人の上級役員と、報酬額で上位20人の幹部を制限の対象にしている。

 また、米同時中枢テロの犠牲者補償基金で特別管理人を務めたケネス・フェインバーグ氏を報酬監督官に任命。
大規模救済を受けた企業の報酬慣例が、株主や納税者の利益に反していないかどうかを監視する。国有化される自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)や、実質公的管理下にある金融大手シティグループなどが対象となる見込みだ。
 オバマ大統領は「巨額の利益を求めてリスクを他者につかませるウォール街の強欲さ」を批判してきた。
2月には、大規模支援を受ける企業の上級幹部の報酬上限を50万ドルとする厳格な規制案を発表している。
 しかし、報酬への政府介入が強まれば「最良の人材が海外の競争相手に一挙に奪い取られる」(米紙ウォールストリート・ジャーナル)とウォール街は反発。
政権内部にも「米金融産業の競争力低下は避けるべきだ」という声が上った。