リンゴは農薬で作る、と表現されるほど害虫対策が難しいという。
そのリンゴを無農薬・無肥料でついに身をなしたという木村秋則さんの話。
現代科学では解明できない、とまでいうリンゴの無農薬栽培。
木村さんの作ったリンゴは、切り口が空気に触れても酸化しないという。
不思議の産物である。
作り始めた当初は、まったく花が咲かず、病害虫との終わりなき戦いがあった。
そして、現状を儚み、自殺まで考えたその時に、足元のドングリの「土の香り」に気づきを得、さらに挑戦を重ねる。
そんなエピソードの中で、戦慄すべき一文があった。
「農薬の過度使用が病害虫を呼んでいるのかもしれません」と木村さんは言う。
いつの間にか。
自分たちは家に鍵をかけたり、
石鹸で手を洗ったり、
部屋を除湿したりエアコンを入れたり、
靴を履いたり、
シャンプーしたり、
アルコール消毒したりしている。
特に現代人は毎日フロに入り、髪を洗い、ウォッシュレットでトイレする。
昔に比べれば過度のキレイ好きである。
自分などもシングル年齢の時には二三日、風呂になど入らずともカラッとしていた。
それが一日の終わりになるとジトッと脂じみてくるのは、まさに現代病である。
雑菌を消毒したり、
脂分を流したり、
汚れを落としたり。
それらに拘り、「除去」しようとすればするほど、「さらにしつこい何か」に苛まれる。
自分たちの文明はそんなものとの闘いのようである。
より清潔を志向すれば、より複雑なウィルスが現れる。
まるで自然は、人間のそんな「抗い」を微笑しているようでもある。
一つ一つ見てみれば、ごく当然な自分たちの健康志向、とか清潔志向。
だが「自然全体の調和」というような系でみれば、実はいびつな習慣なのかもしれない。
文明というのはそんな「いびつさ」を常に孕みながらあるものではないか。
進みすぎる、いや進むことしかないのだ、というあまりに当たり前のトレンドに「直撃する問いかけ」を受けた感じがした。
現代病の本当の発生原因は、実は我われの「過剰防衛」がもたらしているのではないか。
りんごの鉄人、の発する言葉からはそんな警鐘の一節を感じたのである。