藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

すすむ議論。


いずれにせよ、「書籍のデジタル化」は否応なく進む。
そしてこれからこそが、「知のデジタル化」の本番なのだ。
知的所有権を含む一連の議論は、次なる「知識革命」への通過儀礼なのだと思える。

巨大なIT企業が、電子化された書籍のデータやその配信のノウハウを独占したらどうなるのか。
訴訟の原告である全米作家協会のポール・アイケン事務局長は「出版界の未来がグーグルに牛耳られるなんてことを私たちは許さない」と語る。

この「巨大なIT企業が」という比喩が、これまでのデジタル社会の象徴的な気がするのは自分だけだろうか。
その「ある一社」が「独占的」な形で「他を」牛耳る、というのが、まあ20世紀的な「排他成長モデル」なのではないか。
昨今、世界各国の中央政府が「経済成長ありき」でしか政策や実績を語れないのに、どこか似ている。


これからの「知」とデジタルの在り方は、従来型の概念を超え、透明、かつ広く薄く、という時代になると思う。
そこには、これまであった「独占的」な縮図はない。

誰もが安心して、自らの知の成果物を公開できるプラットフォーム。

そんな物が登場しかかっているのだろう。

ソニー+Google陣営、115万タイトル、アマゾン45万タイトル。

内藤正光総務副大臣は「巨大資本を持つ一部の人が市場を独占するのでなく、資本の多い少ないにかかわらず、市場に参入できるようにすることが必要だ。
それが表現の多様性の確保につながる」と語った。

もっともだが、その「巨大な資本を持ち一部の人」というのは、翻って見れば、これまでの新聞社や大手出版界、メディアはそのままこの「巨大な資本」なのである。
要するに今起こり始めている「デジタル化再論」というのは、この根っこである「巨大資本の集積や維持」に対して根本的にその存在を問うているようにも見える。


メディアや出版・広告界の人であれば、誰もがその大手資本の優位性、を感じたことがない人はいない。
そこにメスが入る本当の民主化には、少々ならぬ摩擦が伴うだろう。

そんな私の通る道。


さて。
大きな流れからいえば、もう「著作」を表に晒さずに「ある販路」だけで「決められた価格」で提供するモデルは崩れるだろう。
そんな新しい「知のラウンド」ではどんなスタイルが流行りだろうか。
自分はそこに内田樹の研究室を思う。


恐ろしい勢いで、自分の専門のフランス哲学に始まり、宗教、教育、武術、そして今や女性文化や政治、サブカルチャーなど、その評論の対象は今や全方位。
結局「自分の立ち位置」が確立しておれば、およそどんな問題でも「自分なりの斬り方」で分解できる、というこを体現しておられる。
ご自分の著作をブログに上げ、また出版しながらも「自分の著作はコピーフリー、盗用自由、剽窃ok」というその態度は、実はこれからの「知財の次代」にあるべき姿そのものであると思う。
内田兄、は数年前から「その時代」の到来を予見し、さらにその時代にとるべき姿勢を自ら示したいたのだ、という風に最近気づいた。
こういう人のことを「オピニオンリーダー」と呼びたいものである。


経済成長率、という角度から見ればこれからの世界は暗いばかりだが、
「知の広がり」という目で見れば、今年が「文明開化」というくらい、これからの明るい世界が広がっている。


自分たちの将来は、案外明るい。
何事も考え方しだいである。




asahi.comより>

本や雑誌の電子化が進んでいる。インターネットなどを通じて流通する電子の書籍は、小さな専用端末で持ち運べ、パソコンの画面でいつでも閲読できる。
私たちはいま自分だけの電子の図書館を手にしつつある。その未来は、どうなっていくのか。一歩、先をゆく米国で、その課題をさぐった。

 米国の西海岸、カリフォルニア州サンディエゴ市にソニーエレクトロニクスはある。
2月18日、野口不二夫上級副社長は、手帳ほどの大きさの読書専用端末「リーダー」を指し、こう表現した。
「個人用にあつらえた専用の電子図書館を持ち運んでいるようなものです」

 リーダーでは、ネット上の専用サイトから購入した電子書籍(e(イー)ブック)を集め、電子の書棚に並べられる。
ソニーは現在、約15万タイトルを販売。
さらに、ネット検索大手のグーグルが無料提供している著作権の切れた書籍約100万タイトルも利用できる。

 同じ日、米国の東海岸で、書籍の電子化をめぐって、世界中が注目する訴訟の公聴会が開かれていた。

 グーグルが世界各国の書籍700万冊以上を著者や出版社に断ることなくデジタル化し、全文検索したり一部を読んだりできるようにするサービスをめぐり、米国の作家・出版社の団体が訴えたものだ。
当初の和解案では、米国外の作家や出版社も影響を受ける可能性が高かったことから、ヨーロッパや日本などから危惧(きぐ)する声があがった。
結局、英語圏などの書籍に限られるという和解案に修正された。


 カリフォルニア州マウンテンビュー市のグーグル本社で取材に応じた戦略提携担当ディレクター、トム・ターベイ氏は楽観的だった。
「和解案は作家、出版社と一緒につくった。彼らにとって悪いものなら合意できたはずがない」

 だが不安が消えたわけではない。
公聴会で意見陳述をした日本ペンクラブ山田健太氏は、代理人を通じて訴えた。
「もしグーグルが『我々は電子書籍配信の世界最大のサイトであり、ルールをすでに英語圏で確立している』と言い放ったら、いったい何人の作家や出版社がグーグルのやり方を拒めるだろうか」

 巨大なIT企業が、電子化された書籍のデータやその配信のノウハウを独占したらどうなるのか。
訴訟の原告である全米作家協会のポール・アイケン事務局長は「出版界の未来がグーグルに牛耳られるなんてことを私たちは許さない」と語る。

 そのアイケン氏がもうひとつ心配する独占がある。
ネット通販大手アマゾンだ。
専用端末キンドルと、キンドル向けのeブック約45万タイトルを販売するビジネスモデルで圧倒的なシェアを誇る。


全米作家協会は以前、「購入ボタンを外したのは誰?」という、問題提起のウェブサイトを作った。
「購入ボタン」とは、アマゾンのサイトで書籍を買うためにクリックするボタンだ。外されたのは、米国大手出版社マクミランの本だったという。

 アイケン氏は「価格設定の主導権をめぐって対立したアマゾンは、マクミランの本をアマゾンのサイト上で買えなくした」という。
結局、アマゾンは「マクミランが望む価格条件は必要以上に高いと考えるが、彼らの本を消費者に提供したい。
我々は彼らの価格を受け入れる」と発表した。
今年1月、キンドルのライバル「iPad」を、アップル社が発表したからと業界はみている。

 米国の非営利団体インターネットアーカイブは、インターネットのウェブサイトの保存などを通じ、知的財産を共有する活動を進めている。
そのピーター・ブラントレー氏は「独占」の弊害をこうみる。
「市場が独占されると、価格競争が起きず、技術革新も進まなくなる」

 グーグルによる全文検索サービスの対象から、日本の書籍の多くは外れる。
米国で人気の電子専用端末の日本語版はまだ、上陸していない。
だが、本格的な電子図書館時代が日本に訪れるのは時間の問題だろう。

 日本では17日、文部科学、経済産業、総務の3省の副大臣らの呼びかけで、電子書籍をめぐる懇談会が開かれた。
そこでも「独占」が議論になった。
内藤正光総務副大臣は「巨大資本を持つ一部の人が市場を独占するのでなく、資本の多い少ないにかかわらず、市場に参入できるようにすることが必要だ。
それが表現の多様性の確保につながる」と語った。

 南米を代表する作家で、図書館員でもあったボルヘスの小品「バベルの図書館」にこんな一節がある。
「図書館があらゆる本を所蔵していることが公表されたとき最初に生まれた感情は途方もない歓(よろこ)びであった」。
世界中のあらゆる本を集めた図書館。電子化はそれを技術的に可能にしつつある。そのために越えるべきハードルは多い。(赤田康和)