藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アバウトな高層ビルとか


上海のとか、広州の60、70階は当たり前といった感じの、それもどこまで耐震計算ができているのか不思議な「未来都市」のようなさまざまな意匠のビル群を思い出すと、ちょっと怖い。


中国から日本に帰ってくると、いわゆる「超高層」のビルは、「並みのビル」よりはるかに頑丈、というか「精緻に」作りこみがされているような実感がある。
外観こそあまり奇抜なものはないが、ああいうのを「質感が高い」というのだろう。
エレベータ一つとっても振動を感じるようなのは皆無だし、誤作動するとか、停止するようなトラブルもほぼない。


数年前に上海の○●大廈といわれるビルの幾つかを訪問したが、外装のタイルがちょっと剥がれていたり、トイレに入ると「みしっ」としょっちゅう音がしているのに結構サムい思いがしたものである。
「100階付近にあるレストランに行きませんか?」と誘われたが、純粋に「上階がもげてしまう」恐ろしさから、「どこか違う地上の店に行きましょう」と答えたことを思い出す。
中国に大地震が起きませんように。


日本であれ、中東アジアにはこれまでに想像し得る数倍の地震発生の可能性があるともいう。
「大変なことになる」とばかり言っていても始まらないが、それにしても中国大陸を中心に地震が襲った場合というのは恐ろしい。


バベルの塔、のようなことが起きないことを祈るが、
またそのような事態においても「その原因究明」や「次なる施策」を考えるのが良くも悪くも我われ人間なのだと思う。
地震津波、天変地異。


自然には徹頭徹尾、まだ人間は無力。
共に人類の英知のあらんことを祈るばかりである。