藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

繰り返す経済

いわゆるノンバンク貸出しで「シャドーバンキング」が中国で問題になっている。
肝心なのは"政府保証"が付いていることで、これが外れる日が即ち金融危機だという。
それにしても推計とはいえ500兆円となれば、一国のGDPすら上回っているからもう単なる架空の話ではなくなるのは想像に難くない。
日本も未だカネ余りと言われ、要するに実体経済以上に紙幣が流通してしまっているということだから、四の五の言っても一旦は「カネの価値」が暴落して元へ戻る、という場面は避けようがないのだろう。

そういう意味では「リアル生活」は大した影響は受けない、という気もするのだが自分の現金が紙屑のようになるのは気持ちの良いものではないし、銀行預金などは見直した方が良さそうである。

中国で「ドバイ・ショック」再現の危機 モラルハザードはケタ違い

2014.3.19 08:00
 2009年11月に世界の金融市場を突如として襲った「ドバイ・ショック」。遠からず中国で再現されるかもしれない。

 キャッシュリッチな中東の産油国アラブ首長国連邦UAE)のドバイ首長国政府が、政府系持ち株会社ドバイ・ワールドの債務590億ドル(現在のレートで約6兆円)の繰り延べを発表。同社の債務には政府保証があるとの暗黙の了解を抱いていた海外の金融機関に強烈なパンチとなり、主に欧州で金融株やユーロが下落した事件だ。

 日中関係筋の推計で融資残高が30兆6000億元(約503兆円)に達した中国の「影の銀行(シャドーバンキング)」の大半も、資金を投資した個人や企業などの組織の大半は、いかに高利回りの金融商品であっても「政府ないし国有商業銀行など公的な債務保証がある」と信じている。投資リスクを考えない「モラルハザード(倫理の欠如)」が、ドバイより2桁も大きな規模で起きている。

 シャドーバンキングは、中国の金融監督当局である中国証券監督管理委員会(証監会)をもってしても詳細が把握できていない“闇(やみ)”の金融に属する。

 一方、北京で全国人民代表大会全人代=国会)が開幕中だった7日、上海の太陽光パネル企業が経営不振で社債の利払いが不能になり、中国の社債市場で初めてのデフォルト(債務不履行)に陥った。社債は監督の及ぶ“表”の金融の世界だ。

 全人代閉幕後、13日の記者会見で李克強首相は「見たくない」と断りながらも、デフォルトを容認する姿勢を強く打ち出した。あえてこの時期を選んだデフォルトは、表の金融の世界で市場に“警告”を与え、本丸であるシャドーバンキングの闇の金融でも、暗黙の了解だった公的な債務保証を拒絶する日が近いことを示したといえる。

 専門家の一部は中国のシャドーバンキングの債務管理は難しくないと指摘している。確かに国内総生産GDP)との対比で中国では60%に満たない融資残高であり、同種の金融取引でみた米国の同1.53倍、英国の同3.7倍に比べて軽症だ。

 しかし、エコノミストの推定では年末までに償還期限を迎えるシャドーバンキング関連の金融商品は中国で4兆元にのぼる。このうち40%前後が採算性の低いインフラ案件などリスクの高い運用先への投資で、政府や国有商業銀行などが救済を拒否すれば、3分の1にあたる約5000億元にデフォルトする懸念がある。日本円にして約8兆2500億円。ドバイ・ショック並みか、それ以上の衝撃が世界中の市場に走るだろう。

 中国の成長減速や経済統計にも敏感に反応するようになったのは先進国だけではない。1月には中国の製造業景況指数の悪化が引き金となり、トルコや南アフリカ、ロシアなど新興国の通貨が下落した。中国で今後デフォルトが相次げば、海外市場は冷静さを欠いて、通貨のみならず債券や株式でも、暴落の連鎖反応が起きる恐れがある。

 実は中国でも大がかりなデフォルトの前例はあった。1998年、当時の朱鎔基首相が破綻(はたん)処理を決めた広東国際信託投資公司(GTIC)の1億2000万ドルと、そこから将棋倒しのように起きた数百社の信託会社などの経営破綻事件だ。暗黙の政府保証があると信じて疑わなかった日本の大手銀行など貸し手も、手痛い損失を被った。

 話題はそれるが、「超高層ビルの呪(のろ)い」と呼ばれる歴史的なジンクスがある。ニューヨークで31年に完成した「エンパイアステートビル」(443メートル)は29年に始まった世界恐慌に重ね合わせて語られた。ドバイでもショックの翌年1月、世界一の高さを誇る「ブルジュ・ハリファ」(828メートル)が建った。

 ジンクスが正しいのか、歴史は繰り返すのか。中国ではいま上海の国際金融センターで、15年完成をめざして竜が空に昇る姿をイメージした外観の超高層ビル「上海センター」(632メートル)の建設が進んでいる。過去の経験則から未来を予測することも、時には必要だろうに。(産経新聞上海支局長 河崎真澄)