藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

眩惑されるな。


いろんな業界。
どの業界も、もちろん「社会に参画」し、それなりに貢献しているのは言うまでもない。
だが、そんな社会の様々な業界の職業を「年収」というただ一点に絞り、このサイトは見せてしまうのである。


事務次官だろうが総理大臣だろうが、小学高の教諭だろうが。
医師だろうが薬剤師だろうが、大手商社だろうが家電メーカや自動車メーカだろうが。
経営近サルだろうが、居酒屋チェーンだろうが。

何でも「年収」という目盛りで表示してしまう。


一見面白いだけに、何だか寒気がした。

このサイトを次々に閲覧して、自らの進路を決めている若者がいたら、彼の姿にゾッとしないだろうか?

年収で婚活対象を決めているのと、どこか似ている。
自分はそんな若者は嫌いである。
自分も「そんなこと」をしそうだから、余計に嫌いである。

警察官って、意外に年収高いよ?とか
高級官僚って苦労の割にもらってなくね?

とかいう学生たちを見て違和感を覚えない人は少ないだろう。


「職業」というのはすべて「等分な」社会的意義である、と思いたい。
そりゃ、お百姓から、経営コンサル、大手商社にメーカーに、事務に営業に介護に。
あらゆる仕事には特有の苦労、悩み、そして醍醐味があるのである。
その「職」に一生懸命になればなるほど、どんどん理解も深まってゆく。
感謝も出てくる。


だから。
だからだから。
この年収ラボから「逆さ」に見て、「どんな職業の年収が高いのかなぁ?」という視点を持つ若者にはなって欲しくない。

そんなチョイスの方法は「悪魔との魂のトレード」である。

その先に、あまりハッピーな想像ができないのである。

いろんな職業の機能とか、使命とか意義。
それらを分かった上での「仕事選び」をしないと、「終着点」で思わぬ失意に沈むだろう。

「収入がいいからこの職業にしたのです」という人か続いている例を自分は寡聞にして知らない。

みな、色んな見かけの動機で「その業界」に入ったものの、立派に「自職の愉しみ」を見出して、一生勤め上げる人ばかりなのである。


学歴重視、学歴偏重と同様、「年収偏重」で職業選びが逆転しないことを切に願う。
「そういう風潮」には断じて逆らう大人でありたい。