藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

五十年後から考える。

*[次の世代に]ファシリテート。

これから就職するという人たちと話していると、よく自分のことを思い出す。

意味も分からず受験に追われていたころ。

養われていることが息苦しく、早く社会人になりたかった頃。

社会人になってみて初めてわかったことの数々。

さらにそれが三年、五年、十年と積み重なって…云々。

 

若い人と話していると、会話の中から彼たちの「いろんなこれから」をつい想像してしまう。

だから慎重に「正解」ではなく「注意点」みたいなことをお話しする。

つまりは業界の「裏の顔について」の話だ。

大手商社の、銀行の、証券会社の、(大人気の)マスコミの、メーカーの、そして中小企業の。

悲哀と言ってもいいだろう。

 

そんな商社に務める同輩に聞いた話。

欧州の学校では先生のことをteacher(教える)とは呼ばずにfacilitator(学習支援者)と呼ぶそうで、つまり「教えて!先生」から脱却しているらしい。

なので若者と話しているときにはつい「自分の思う正解」を話さないことを心掛けている。

それよりは彼らの「今見えているだろう景色」を想像しながら話すようにしている。

 

そういう自分も「今見える景色」の産物でしかないけれど、なので「自分の十年先から」を意識しているが、これがなかなか難しい。

自分にもファシリテーターが必要だ。