藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

端くれ論。

「あなたも経営者の端くれなら、仕事の意味をちゃんと答えてください」
というメッセージをもらう。

結構衝撃を受けた。


そう。
経営者の「端くれ」なら。
そう。
端くれである。
でも経営者だけではない。
四十代の端くれ、だし
サラリーマンの端くれ、でもあるし、
男の端くれ、でもあるし
父親の端くれ、でもある。


そう思うに至り「端くれ」とはなんと素晴らしいものか、と感慨した。
端くれ、にはそのはしくれなりの「最後のとんでもないプライド」を感じるのである。


自分たちは紛れもなく「何か」の端くれである。
経営者の端くれでしょ、という話は、自分の今の「そのまま」を突き付けられたような気がした。


「端くれ」という表現には、「端っこの人だろう」というそのままの意味と、
「端ながら、その世界にいるのだから正面から答えよ」という本来の意味があるように思う。
だから「あなたも端くれでしょ」という問いには、できるだけまともに応えたいのである。


端くれながらも、仕事をする人の意味。
そんなことを、当たり前に後世に話せることが必要である。
自分は「分業論」として長年その辺りのことを説明してきたが、ここらでもう一度整理してみたい。


それもこれも「あなたも端くれでしょう」という発言が契機である。
ほとほと、自分たちは「外部」によって生かされている、と思う。