音楽は難しい。
音楽に限らず、芸術というのは全てそうなのかもしれない。
「芸術」とはよく名付けたものだと思う。
とそんなことをこの年にして知ることになった。
原因は音楽のレッスンである。
ただし、今思い返せば、小林秀雄とか、吉田秀和とか言った巨人たちの著作に「それらしい」ことはいつも書いてあったことを思い出す。
自分はそれを読んでも「意味が分かっていなかった」のである。
恐ろしいことである。
自分で練習して、聴いて、また練習して、聴いて。
ふんふんと思っていても、「果たして、著者の意図するレベルで自分が理解できているのかどうか」というのは現国のテストでも読後に受けてみなければ分からない。
つまり「自分の到達度は自分では計り知れない」のである
また別に。
自分の場合、ごく稀に一冊の本に異様に傾倒したりする。
また気に入った本は最終的には「一気読み」できるレベルまで繰り返して読んだりマーキングしたりしながら「全体が一度に頭に入る」レベルになるまで読みこまないと、何だか「全体が理解できた気分にならない」こともよくある。
ということは、「ある分野のあるレベルの本」をどの程度まで(或いは「著者以上に」ということもあり得る)理解しているか、ということを目盛りにして、自分の脳の実力を計る、ということでもあるのかもしれない。
こと「芸術的なこと」というのは、そうした「予め予測できない」という性質をはらんでいるのかもしれない。
練習の方法が決まっており、「そこからはみ出る何者もない」というのは、すでに硬直している。
過去の因習や、先人の練習方法を以て、さらにその先に「得体の知れない進化」をもたらすものがこれからの「指導者」なのではと思う。
結局、芸術性というのは「これまでの何者にも縛られず、新しい何かを追求すること」なのかもしれない。
自分たちの世代としては、「自分」がそう有れるかどうかはともかく、そんな「追求の萌芽」を自分たちの世代から摘ませぬように、というのが精いっぱいなのだろうか。
「楽しみながら」の創作活動ができる人たちが少しでも増え、またそんな人たちを眺めていたいと思う。