藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

究極の人たち。


普通に生きていても、自分の思うとおりに事が運ぶ、とばかりは限らない。
当たり前である。
自分の周囲にあるものはすべて「物」であり、自ら勝手に動いたりしない、のならかなり自分の「思うまま」になるだろうが、それだと自分の「手の届く周囲」以外はおよそ自分の世界ではなくなってしまうし、何よりそれでは人間社会でもなくなってしまう、とまあヘンなことを書いたが、我われは他人とかかわりながら生きている。


だから、仕事で思うように受注できない、とか
仕事の納品スケジュールを部下が思ったようにキープできない、とか
折角納品したのにお客さんが(色んな事情で)支払いをしてくれない、とか
相手方が裁判を起こしてきたり、とかまあいろいろ起こる。


もっと昔は意中のあのコを何とかデートに誘いたいが、てんでそれが上手くいかず、むしろ悶々とすればするほど距離が開いてしまうような思いをするのはよくある話ではないか。

想いと結果と。


こうしてみると、人生での色んな意思決定をなるたけ「思い通り」にするには、どれだけ「局面の推理ができているか」に尽きるのだ、と思いいたる。
「何を当たり前のことを!」と訝る向きもあろうが、なかなか日常の中で「よし、この度の局面を存分に読みこんでみよう」とはなかなか改めて考える機会はないものではないだろうか。


なぜそんなことを考えたか、というと梅田望夫氏の上梓した「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか」という本の読後感からである。(続く)