藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

家事の意味。


毎日、ご飯を作って家族に供する主婦とか、毎日外に働きに出て作物を実らせたり、物作りやサービスでお金を稼ぐ社会人。
そして、そんな仕事(とか学業)に付随して、必ずこなさねばならないのが家事である。
一日に2〜3度必ず食事をして週に一度は洗濯をし、また定期的に掃除をする。
丁寧な人だと盆正月には書状をしたため、季節のお見舞いなどを贈ったり。
ここまでくると自分などは到底真似できないところですが。


昨日より丸1日半、ゆえあって知り合いのオフィスの大掃除をすることになった。
24時間以上、携帯電話のみを尻ポッケに突っ込んで、ネットにもつながらず、雑巾やごみポリ袋を手に、汚物と格闘するのは何年振りだろうか。
全く頭がからっぽに、というよりも「このヨゴれとどう向き合い、どう処するか」ということのみに専心し、どんどん数をこなす。
結局タイムオーバーですべては担当しきれなかったが、ビフォーアフターは歴然である。


腰と背筋を目いっぱい披露しつつ、つくづく家事というのは大事だなぁ、と思った。
汚れたものと向き合っていて、
「どうしてこのような汚れ方をするのだろう」とか、
「もし、例えばこのように使っていたら汚れていただろうか」とか
「そもそも毎日掃除していれば、今日も全く汚れていなかったのではないか」とか
「汚れないための日々の"たしなみ"とはどんなものだろう」とか、実にいろいろなことが頭に浮かぶのである。


そしてそんな「汚れや塵」を通して、自分たちの日常も見えてくる。
例えば「汚れのとても少ない人の日常」は、とても規則正しく、また一挙一動にも隙がなくなってくる。
毎日の玄関先でも、食堂でも、トイレの中でも浴室でも、ベッドの中でも「気持ちが行き届いている」のだと思う。


そんな「日常の理想の振る舞い」に近づくために、日々の家事は存在するのだ、と久々に得心した。
掃除は定期的にやりましょう。