藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

日本的な経緯。

昨日書いた「君が代闘争」が気になったので少し調べてみる。
wikipediaに詳しい。

なんだかその平安時代の「詠み人知らず」の古今和歌集の一歌に、後世の時代時代の人たちが「解釈を重ね塗り」し、ついに幕末の開国時において「存在そのもの」すら確かにはなかった"national anthem"の必要に迫られて具象化したのが「国家・君が代」だという。

このグズグズッとした出現の仕方(というか形成の過程)こそが「日本だなあ」と思う。

実に他人(他国)の目を気にして、キョロキョロしているではないか。

なりゆきの果て

そうして明治時代には「君」は天皇を表す、と思想的な色を帯びつつ、第二次大戦を境に一気に国粋の象徴のようになったらしい。
けれど、石原慎太郎氏ですら「新しい国家を作ったら」というくらいで、それほどこだわっている人は多くない。
一番の渦はやはり"文部省vs日教組vs教職員"のようである。


メロディが陰鬱、という点では英米の国家に比べて確かに地味な感じがするが、国際的な祭典やスポーツイベントなどで「日本」を意識するときにはさほど抵抗もない。
むしろ、いろんな"あや"で謳われ続けてきた「一歌」が、色んな思想家によって利用され続けてきた結果なのだろうと思う。


それにしても、現場の教職員が停職になったり、自死する校長が出たり、と「本筋の議論」から外れた暗闘はいただけない。
そして何よりもそれを見ている若者の冷ややかな視線を、論者たちは見過ごすべきではないだろう。
一体何を伝えたいのかは明確にせねばならないと思う。


国そのものに色々な思いを込めることと、「一国として他国と対峙すること」は全く意味が別である。
時には「日本として、海外に発信するための国歌」という視点でものを見てみてはいかがだろうか。
もう50年も燻っているこの話は、この国の「体質」を如実に表しているし、そろそろ変わり時だとも思うのである。

「なぜ私は君が代斉唱時に起立しなかったのか」 停職処分の教諭の声

 入学式で、君が代の斉唱時に起立しなかったとして、東京都教育委員会は27日、初の停職を含め10人の教員を処分した。教員らはなぜ、君が代斉唱の職務命令に従わなかったのか。1ヵ月の停職となった根津公子教諭(54)が関係者に宛てたメッセージと都教委への抗議文を紹介する。同教諭はひとつの価値観の子どもたちへの押し付けは教育とは言えないとし、停職期間中も学校の前でこの問題について生徒たちと話し合いたい、と述べている。(ベリタ通信)


皆様  (転送歓迎です)

 根津公子です。都庁記者クラブに行き、夜記者会見を緊急でしてもらって帰り、パソコンに向かったのですが、皆さんに送信する段になって、突然画面が消え、打ったものすべてがなくなってしまいました。この時間ですので簡単に報告します。

 入学式の「君が代」不起立で都教委は私を明日28日から1ヶ月の停職処分に処しました。石原・横山は先月の北九州ココロ裁判の判決など、どこ吹く風、どこまでも突っ走ると、再度宣言したかのような暴挙・愚挙に出ました。

 卒業式ではいろいろなことがあって私は、「君が代」の途中から着席したことは以前お伝えしましたが、そのとき、そうしてしまったことへの後悔と、2度とこんなこと私にはできないとの思いを持ちました。そして、定年まで6年間に使えるカードの枚数を数えるのはもうやめよう、私の気持ちに正直に不服従をしよう、そうすることで私の教員としての生き方を子どもたちに示すことができたらいいなと、ごく自然に考えるようになりました。そして、決意しました。ですから今回の停職は当然予想していたことです。

 入学式の時から私は校長に、「都教委は私を停職にするだろうけれど、私は毎日学校に来るからね。朝から夕方まで。校長は教育委員会から命じられて私を排除するだろうけれど、学校の敷地1cm外にいる私を退去させることはできないよね」と言ってあります。来週30日(月)はもともと調布中への見せしめ異動裁判が朝から1日予定されていて、すでに休暇申請をしています。ですから、31日に学校に行きます。今日、処分書を受け取った後、校長に、「子どもたちに対して校長は私のことをきちんと話さなければならないですよね」と言っておきました。私は締め出された、たぶん校門前公道で生徒たちに私の言葉で話をしていこうと考えています。1ヶ月間たっぷり時間はありますから。都教委の私に対する仕打ちを見て、子どもたちがいまを考えるきっかけになったらいいなと思います。そんなわけで毎日二中の門の前にいることになると思います。時々は都教委にも抗議に行きますが。とりあえずのご報告とお願いです。


処分書を受け取る前に「心して聞きなさい」と言って私が読み上げはじめた、しかし、風邪を引いて声がれした私の声をかき消す声で都教委の役人が処分書を読み上げたので、途中から聞こえなくされてしまった抗議文を添付します。

2005年5月27日
東京都教育委員会御中

立川市立立川第二中学校教諭 根津公子

君が代」処分に抗議する
本日2005年5月27日、東京都教育委員会(以下、都教委)は入学式における「君が代」斉唱時に起立しなかったとして私を停職1月処分に処した。この暴挙に強く抗議する。


1989年当時の文部省が学習指導要領に「日の丸・君が代」を持ち込んで以降その強制を年々強め、都教委は2003年、いわゆる10・23通達を出し、反対意見を処分で脅し封じ、徹底した「君が代服従を教員に、そして教員を通して子どもたちに強いてきた。


教育は「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を期し、「学問の自由を尊重して」行うべきものであって、教育行政が「不当な介入に服してはならない」と教育基本法は謳っている。教育として「日の丸・君が代」を取り扱うならば、学校・教員はこれらについて子どもたちが考え判断できるよう資料を提示し、学習する機会を作るとともに、その上で子どもたちが自らの意思で行為を選択することを保障しなければならない。それが軍国主義教育の反省から生れた、教育基本法の示す教育行為である。


然るに、都教委が強行する、子どもたちに一つの価値観を押し付ける「君が代斉唱」行為は非教育・反教育行為であり、教育基本法に違反する行為である。それは調教と呼ぶべきものである。そのような理不尽なことに、私は従えない。職務命令を濫発されても従わない。


それは、教育基本法を順守し、軍国主義国家主義教育に加担しないと誓った私の教員としての職責であり、選択である。私は、私の生き方を子どもたちに示すことで教育に責任を持つ。だから、都教委が叩いても私は立ち上がる。意を同じくする人たちとともに闘う。


都教委の役人の方々よ、世界に目を向けよ。圧政に命を堵して闘っている人々がいることをあなた方は知っているだろうか。圧力をかければ、誰もが服従するのではないことを学ぶとよい。


都教委の「君が代」処分に抗議するとともに、併せて、闘いつづけることを宣言する。

以上