藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

生活空間の確保。

家事、という中に炊事・洗濯・掃除。(子育て、とか親の介護、とかは入っていないね)
こと飽食の時代以降、「物あふれ」で片づけられない、という症状に陥っている世帯はとても多いようだ。
最近ヒアリングしたら3-4割の世帯では「散らかっている〜物で埋まっている」という回答だった。
辛うじて足の踏み場はある、という世帯も案外多く、逆に「スカーッ」と片付いている、というところはほとんどなかった。


収納の専門家に言わせれば「ものを減らす能力のあるなし」ということらしい。
雑貨や家具のあふれる現代、"いつかは使えるかもしれない"というものを、その執着から離れ、「どれだけ冷酷に捨ててゆくか」ということのようである。
何百坪もある田舎の家に暮らし、100年くらいは「ほおっておいてよい倉庫」があるなら、そんな「長い目での付き合い」もあるだろう。
だが、都会暮らしは数十〜百平米程度の生活空間である。
100年間を視野においた「物質空間」は到底望めない。
家具、衣服、書籍など、「できれば数十年単位で置いておく」ことが望ましく、「世代が変わったら処分すればよい」というものと、都会の生活はライフサイクルが違ってしまったのである。
50平米のマンションに暮らし、無駄な家具など置いておける訳もない。
日々の暮らしのための雑貨すら、日常の空間を埋め尽くす恐怖の中である。


100年200年、いや500年も置いておける余裕があれば。
今ある電化製品や、写真や衣服も、家具も自動車も、オーディオ機器も、すべては「懐かしく、"ある価値のある品物"」になるだろう。
平成の今、たかが100年前の品物は江戸末期。400年前なら戦国時代の「逸品」である。
よく田舎の古い土蔵から「究極の逸品」が見つかったりするが、それは「そうすることができるだけ」の空間的余裕があったればこそ。
したがって、現代の都会に暮らす、ということはそうした"いつか役に立つ何か"はばっさりと諦めねばならないのだと思う。
(すごく裕福ならば別だけど)


ゆえに、家具でも、趣味の道具でも、衣服でもゴミでも雑貨でも。
「物を保持し続ける」ということは、都会では「経済的エネルギーを使い続ける」ということに等しい。
つまり"捨てない"だけでもカネがかかるのが、都会暮らしなのである。


そう思えば、
車を所有しない、とか
出来るだけのものはレンタルで済ます、とか
いよいよ「持たざる者の知恵」が本格的に問われるのが今年からではないだろうか。
あらゆる意味で「囚われから解放される」というのが次世代のキーワードのようなのだ。
2011年は"変わり目の年"になるようである。

「シニア世代の収納ルール」 VS 「満杯恐怖症」
夫が定年退職してライフスタイルが変わったり、あるいはパートナーに先立たれて部屋が空いたりした人へ、収納アドバイスをしている女性に話を聞いたことがある。「とにかくその世代の方は持ち物が多いというのが共通項です」という言葉が印象的だった。

 押し入れを開けると、新品のシーツやタオル、ホットプレートや今は使わなくなった電気ストーブなどがごろごろ、次から次へと出てくるのだそうだ。

「だから私の仕事は特別なにか収納方法をお教えしているのではありません。ものの捨て方、処分をお手伝いしているだけです」と、彼女は笑った。

 収納の取材をしていても痛感するが、収納テクニックなどというものは、そもそも片付けや収納について興味がある人が欲しがる情報で、そんな人の家はもともとある程度は片付いているし、整理されていてものが少ない。

 通販で、すき間収納グッズや棚など便利そうなグッズがあるが、それらの道具を使いこなせる人は、そもそも収納癖のある人だ。それがない人は、新たな入れ物が増えたら、そこに入れる持ち物が増えるだけである。

 極論を言うと、収納をうまくするには、道具やテクニックではなく、ものを最初に減らすことで9割は解決される。逆に言うと、ものを処分しない限り、どんなすてきな収納グッズを買い足しても、どんな広い家に引っ越しても永遠に家はスッキリ片付かない。

 なぜそんな話を思い出したかというと、先日のゴールデンウイークに夫が実家の片付けに行ったからだ。両親は忙しくて片付けが苦手。夫は帰省するたび、荷物で埋まった2階の2部屋が気になっていたので、よし!と今年は一念発起したらしい。

 3日間かけて小さなトラック1台分のゴミを捨てたという。実際にどんなものが出てきたのか聞いてみた。

・こたつ

・二十年前のテレビ

・電子オルガン

・息子の子ども時代の工作物

・ついたて

・古い布団

・過去の伝票

・本、ビデオ

・洋服

・人生ゲーム

・ベビーバス

・電気すき焼き鍋

・壊れた鏡台

 この多くは、私の実家の納戸にもありそうだ。どれも「いつか使える」か「思い出付き」。だから、処分を先延ばしにしたまま20年も30年も経ってしまうのだろう。夫が整理に行かなければ、これから先の何十年もきっとそのままだ。

 たとえば、こういう家にどんなに便利な押し入れ収納ケースをあつらえたところで、けっして収納グッズのカタログ写真のようにはすっきり片付かない。まず、捨てることが先だ。それされすれば、逆に何もしなくても、すっきりしてしまう。

 シニア世代に限らない。私たちだって、生活をしていれば少しずつ、押し入れの奥のような見えない空間に「いつか使えるだろうもの」がたまっていく。そのいつかは永遠に来ないのに。

 そして、気がつけば荷物で部屋が埋まっていることになりかねない。だから、収納テクニックの記事や、便利そうなグッズを見る前に、まず処分の癖を身につけたい。

 ところで私は、「満杯恐怖症」で、押し入れの1/4はいつでも空きスペースにしている。わざとそうしているが、実家の母がその隙間を見つけるとすばやくストーブやなにかをつっこんでしまう。 1/4の空白が心のとりでだとなかなかわかってもらえない。「ここが満杯になったらアウト!」は、私の中だけで決めているルールだからだ。それでも、シーズンオフの衣類など、一時的にものを置くことがある。きっと、実家の父母たちだって最初はそんなところから始まったはず。

 1/4が埋まり始めたら、トラック1台のごみを思い出すことにしよう。そして、使うか使わないか、いつ使うか、本当に使うかという目でひとつひとつを精査しよう。どこもかしこも満杯は息苦しくなるから。