藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

北京・日本軍性暴力パネル展。

旧日本軍による女性に対する性暴をテーマにした展示会が始まったという。
別に今日が終戦記念日だからいうわけでもない。

主催者は「両国間には歴史認識の違いがある。こうした交流を通じ、相互理解を深め、共通認識を増やしたい」

会に見に行ったわけでもなく、ただ本当に「相互理解」や「共通認識」が醸成できるだろうか。
というか、いわずもがな。
中国は、ここ最近バブルが弾け出し、中央政府はその体制維持に躍起だという。
古くからの手法で「外的ありき」を演出して、国内統治の求心力にしようというのは、分かる。
けれど「お為ごかし」はいつまで経っても本物にはならない。
いくら自国の統治のためとはいえ、こんな瑣末な「穴探し」をしていては、真の友好など生まれない。
いい加減に本筋の議論に立ち返ってもらいたいものである。

外交の本音。

同様の意味で「国債外交」というのも非常に胡散臭い。
というかもどかしい。
あまりにも「マス」の動きに配慮するから、本来「悪いことは悪い」とか「あなたのここが気に入らないから、断る」ということが言いにくい。
本音を出さない京都人が近所づきあいをしているような居心地の悪さが、国債関係にも常態化しているように思う。

あの人の付き合い方は違う。

と言われる人は、日常の中にいる。
そして、我われは「そのような人」にリードされ、ある種の価値観のようなものに導かれつつ、「付き合い方の姿勢」のようなものを学んだりするものである。
最初は国債外交で、何と言われようともそうした「確固たる姿勢」を示すことは、日本には無理なのだろうか。
とつくづく思う。
いつも言われっぱなしでヘラヘラしているのは、ある意味やさしさでもあると思うけれど、どこかで"芯"のあるところを意思表示せねば、本当に「おとぼけ野郎」だと思われてしまう。
そんな国には国民も愛想を尽かすだろう。
国として、外交の芯はぜひとも貫いてもらいたいものである。

「日本軍性暴力パネル展」始まる 北京郊外で日中共
北京市郊外の中国人民抗日戦争記念館で14日、旧日本軍による女性に対する性暴力をテーマにした「日本軍性暴力パネル展」が日本の市民団体と同記念館の共催で始まった。中国やアジア各国の被害女性の状況などを100枚以上のパネルで説明する内容。11月までの開催を予定している。

主催者は「両国間には歴史認識の違いがある。こうした交流を通じ、相互理解を深め、共通認識を増やしたい」(同記念館)とする。この日の開幕式には中国の被害女性らも駆けつけ、山西省の劉面換さん(84)は「日本軍に銃で殴られ、今も左手が不自由だ」などと訴えた。(北京=古谷浩一)