藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

価値観の移り変わり。

昨年、受験問題が携帯経由で流出した問題を受けて、各大学は対策に追われているという。
電源を切らせる、とか携帯をしまったカバンを離れた所に置く、とか実に大変である。

時にこの「携帯で外部に聞いて、回答できる内容の試験」というのはどうなのだろう。

計算力とか、ある程度の知識、はそりゃ"そこそこ"は欲しいだろうけれど、それはそれ。
「思考の技術力」を問うことは一方では必要かもしれないが、もうそろそろ「もう一方」の選考基準に移してはどうだろうか。


教育の世界も、経済界と同様「これまでの価値観のリセット」が求められているように思う。
日本的・高学歴の人がワールドワイドでなかなか活躍できない、という話はよく耳にする。
英語と日本語の使いこなし、ということも言われているが、原因は「オリジナリティを生みだす力」にあるようである。

受験再考。

知識集積型の今の日本の受験制度が100%否定されるべきかどうかはともかく。
(歴史とか、数学の解法とか、哲学とかについての一般教養は有ってよいと思う)

人柄とか、志とか、熱意とか、価値観とか、そんな「ソフトウェアを問う」という選考基準の入試に変わってもらいたい。

人柄や志は、携帯電話では決して回答を得られない。
そしてこうした受験基準の変更などという「戦術の変化」は、つまり「どのような戦略に基づくのか」ということに尽きる。

ここでも『組織(方法)は戦略に従う』のである。

将来、行政や政治、そして財界のトップに"どのような人物が相応しいか"という根本的なコンセプトを固めずして、受験や就職試験の基準など定まろうはずもない。
そういう」ごくごく当たり前の理屈」を、旧体制を踏襲している我われは問いなおすべきではないだろうか。
たかが受験の方法論と言うなかれ。
その根幹は、なかなか根深いものなのだ。

携帯は電源切りかばんに…センター試験不正対策
大学入試センター試験があす14日から始まり、入試シーズンが本格スタートする。

 京都大などの入試問題がインターネット質問掲示板に投稿された事件を受けて、各大学は監督体制の強化などで不正防止に臨む。

 大学入試センター(東京)では今年から、全科目の試験開始前に、受験生が持ち込んだ携帯電話など通信機器を机の上に出させ、電源を切ってかばんにしまわせる。受験案内には「試験中に携帯電話や電子辞書を使用」「カンニングをする」など禁止9項目を列挙。違反した場合は試験場から退場させ、試験結果を無効にするとの「警告」を強調する記述に改めた。

 各大学にも、試験中の巡視徹底や、死角が生まれない座席配置を要請。試験中に電話を手に持っている受験生を見つけた場合、監督者は周囲の受験生を動揺させないよう、事前に用意した警告文書を本人に示して注意する。同センターは「不正行為は割に合わないことを周知したい」と話す。

 京都大は2次試験で、監督者数を増やす。携帯電話の試験会場への持ち込みは「急病や災害時に必要になる場合がある」として認めるが、電話をしまったかばんを席から離れた通路などに置くことを徹底させる。

 早稲田や立教、同志社の各大学も、一般入試では試験場に入れる人数を減らしたり、監督者による巡視を強化したりする。早大では「約10万人が受験するため、携帯電話を一時預かるなどの体制は組めない」と、マンモス校の悩みを明かす。

(2012年1月13日 読売新聞)