藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

進んでawayへ臨む気力。

典型的なのは、結婚披露宴。
そこには、普通、敵対して悪意を持つ人は一人もいない。
むしろ、何が起こっても祝福されることが「予め合意」されている場である。

だからそんな場でのスピーチは失敗しない。
すべて成功が約束されているのである。
たまに上がって失言をしてしまい、火種を残すような人もいるが、それは「何か話題を提供しよう」という自己顕示欲がもたらすいたずらである。
普通に話せばいい。

で。
これが、学会とか、セミナーなどの講演になると、事情は大分変わる。
聴衆は基本的には、同業者か業界の関係者であるし、また全員が好意的かどうかは分からない。
むしろ反対派の考えの人も、一定割合はいるはずである。
そうなると、講演の内容も、話し方も論調も、かなり練り込まねば「足元がすくわれる」可能性もある。
こうなるとある程度心して準備せねばならない。
マイナスの評価も十分起こりえる。(が、それほど実は多くないと思う。特に日本では。)


さらに辛いのは。
基本的にネガティヴな世界の中、でのスピーチである。
たとえば、相手の耳に痛い内容のプレゼンテーションとか。
敵対勢力を説き伏せ、コンペして押しのけねばならないプレゼントか。


これは辛い。
ここで力を発揮できてこそ、とも思う。
というか相当の準備と熱意がなければ、まず失敗に終わる。
そうならぬためには、よほどのストーリーの準備と、資料の作り込みと、話術の練習が必要である。
辛いが、これがプレゼンの醍醐味ではないだろうか。

最初は無関心だったり、ネガティヴだったり、猜疑心だったり、そんな人たちが、数分聞くにつれ「段々と」耳を傾けたり、メモを細かく取るようになったりして、こちらに顔を向けてくれるようになればしめたもの。
"その数分間"だけは、周囲が自分に与えてくれた一人舞台なのである。
ぜひチャンスを逃すことなく、精一杯演じて燃焼しようではないか。

"アウェイ"を敢えて望んでゆくその姿こそが美しい。