藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

負の力を感じること。

思えば最初の借金は、学生時代にバンドのための機材を一気買いしたときだった。
(あ、その前に高校時代にバイクを小遣い目当てに月賦で買ったことがあるが、あれは反則)
100数十万円の割賦販売を申し込み、「男の60回!」などという意味不明なコピーの高金利ローンで毎月4-5万円を返済する生活になった。
ちょうど一人暮らしを始めたこともあり、それまであまり真面目にアルバイトもしていなかったから、生活はたちまち窮乏。
親の仕送りにも頼れるはずもなく、初めて考えた。
「こりゃイカん」
借金を止めるか。
しかし、今さら一旦購入した中古品なぞ二束三文にしかならない。
もう「購入の事実」は消せない。

なら。
ならば。
稼ぐしかない。

配送業。
家庭教師。
工事現場。
それまでは、どんなアルバイトも「テレテレと」、いわば学生気分でこなしていたのが、目の色が変わった。
思えば、自分が「ちゃんと労働をしなければ」と思った原点である。

朝遅れずに出勤し、その日の仕事をミスなくこなす。
これを確実にしているだけで、抜け漏れがなければ評価は上がるものである。
「学生のくせに真面目だな」と。

さらに、配送先での御用聞き、とか家庭教師先での進路相談とか趣味の持ち方、とか「職場で少しの工夫」を心がければ、また評価が上がり、お給料も少し増える。
もう無遅刻無欠勤、学校はそっちのけで仕事に精励した。

動機は「借金の恐怖」である。

サラリーマンのあと

バンドマンの夢破れて、就職。
サラリーマン時代は借金もなく、お金の心配もなく。
けれど「社会人としての当たり前のマナー」は間違いなくあの学生時代の環境から学んだものだった。

さて。
会社を離れ、独立してから五年ほど経った頃。
知り合いの経営者の紹介で銀行の人が訪問してきた。
会社の決算書を見るなり、「キャッシュがきついでしょう?」
「業績は順調だから、少しうちがバックアップしますよ。」

バックアップ、とは融資のことだった。
いきなり融資、と言われてもピンと来ず。
「では保証協会で5000万円ほど打診しましょう」
「え?五千万!」
「ええ。ゆっくり返せばいいですから。金利も最低クラスですし」

そんな具合に「魔法のように」キャッシュが手元に現れた。
それが「常態化する」にのはすぐだった。
外注費の支払いや、従業員が増えるにつれて負担になる賞与の支払いなど、借金は実に便利だった。


いつしか、返済が近くなったら「また借り直す」ということにも違和感を感じなくなっていた。
業績が上り調子の時には、これでも事業はまわってゆく。
そしてすぐに2000年代のバブル崩壊がやってくることになる。
業績が下向き基調の時に、「さらに借金を返す」ということほど重荷になるものはない。
先の見えない、緩い登り坂を重いリヤカーを引っ張って登るようなものである。

そんな「逆風の立場」になってようやく分かったのが「借金の重み」である。
確かに「借りて、その範囲内でまわっているうち」にはその重みは感じにくい。
なぜなら「普通に呼吸できている感覚」があるのである。

自発呼吸が苦しくなる事態においては、「さらに借金」など致命傷になりかねない。
自らが「借り入れ」をして、「その借入金をも血液にしてしまい、会社全体が生きてゆくこと」は、実はもう"片肺飛行"と言ってよい。

で、何が言いたいか。

安易に借金をしてはならない。

だが、
借金、それも重めの借金を背負ってみなければ「その重さ」もまた分からないものなのである。

良かれと思い、温室の中で何の雑菌もないままに育てた生物は外敵に弱い。
『お金を借り、負債を返済する、とはどういうことか』ということを身を以て体験することは、「世の中のお金の重み」を知る上で非常に重要なことである。

本来、借金は「他からの資金調達をして返す」というものではなく、「自らの本業から得られた収益」で返してゆかねばならない。
千円であれ、百万円であれ、その「カネの重さ」を感じる感性がないと、一生お金について間違った認識を持ち、カネとの付き合い方を誤ってしまうだろう。

借金とて、理論だけではなく「自ら借りてみて」そして「きっちりと返してみて」こそ、金利の重みや実感が湧いてくるものである。
そんな苦しみも、一度は経験しておくことではないだろうか。