藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分らしく。

青島さんのクラシック談より。
オーケストラといえば、集団の協調作業の象徴的な意味にもなる。

ソリストか、伴奏者とか、というのは音楽家の間でもよく話題になるらしい。
どうしても華麗で華々しいのはソリストだが、そこは「生き方の違い」でもある、楽団の一員であっても人生の充実度に差はないのであろうと思う。

要は「そういう精神性」を持てるかどうかなのである。

こういう話は、どんな社会にも当てはまるだろう。
学生時代にも、社会に出てからの世界でも、経営者同士の実業界でも、研究者でも、政治家でも、高級官僚でも。

"派手に第一線にいて、常にスポットライトを浴びる"という人は華やかでいて、案外寿命が短いものである。

鍛練と野心。

オーケストラのポジショニング、とはまさにそうした社会での我われの「立ち位置」を象徴しているようである。
ピアノ、バイオリン、歌などの華やかなソリスト、そして各器楽のパートの第一奏者。
そして伴奏に徹する第二奏者や第三奏者。
さらには派生楽器!(何たるネーミングか)

けれど、けれどこのオーケストラという「小宇宙」の中で、各楽員の役割は決して"いい加減"なものではない。
使い古した言い方だが「貴賎はない」のだと思う。

そして、この小宇宙の「貴賎のなさ」はそのまま社会に当てはまる。

"職業に貴賎はない"、というのは今の時代だからこそ今一度確認しなければならないキーワードではないだろうか。
華々しい場所にばかり目を奪われているのは、じつは「本当の価値、尊さ」が分かっていないことなのではないだろうか。
地味な積み重ねにも、いやそうした下支えにこそリアルな価値は存在するのではないかと思うのである。

第二ヴァイオリンにいながらも、自らを卑下せず矜持を持って演奏に当たる。
そうした態度がこれからの共生社会を構成する「大人たち」なのではないだろうか。

青島広志のクラシックまるかじり、より。
第2ヴァイオリンの悲哀
控えめな性格は採用時から
弦楽器群の中で、最も客席から見えにくい場所に座っているのが、第2ヴァイオリンと呼ばれるパートを弾く人たちだ。古典時代には指揮者の左右に第1ヴァイオリンと対称形に並ぶこともあったが、現在では第1の陰に隠れるように、しかも扇形に広がるように並んでいるので、どこまでがそのパートか判別しにくいのである。
 音楽上では、合唱のアルトのパートを受け持ち、重要であるが、どうもくすんだ、やつれたという感じの強いパートである。確かに弾いている音型は、第1が主旋律を取るならこちらは伴奏に甘んじているが、ときには第1と互い違いに旋律を分け合うこともあり、オクターヴ下で旋律を朗々と奏でることもあるのだが、そのときも肩身が狭そうにしている。

 滅多にあることではないが、第1ヴァイオリンの上に出るときなど、もう少し主張すればいいのに、と思うほどすまなそうに弾くのである。これはなぜかと察するに、オーケストラの求人の際に問題があるらしい。

 ヴァイオリン奏者が入団試験(オーディション)を受けるとき、予(あらかじ)め第1か第2かを自らが決めて受けるのである。必要な資質が全く違うからだ。第1は音の華やかさ、派手な技巧を求められ、第2は音程の正確さ、順応性が何よりも大事である。つまり第1が王様なら第2は忠実な家来で、片方が介護施設に入っている大金持ちなら、その介護士ということになる。

合奏の中での対応力に秀でる 世の中にはさまざまな役割があるが、見え方が違うのだ。それが弾き方にも表れてくるわけで、第1の人に気兼ねして弾いているのであろう。すると、立ち居振る舞いにも変化が表れる。B※は自慢ではないが、かなりの確率でその人がどちらのパートに属するかを当てることができる。まず女性だが、一概に地味な服装で、基礎化粧品のみという人が多い。第1は直接お客の目に触れるので、服に規定のある場合でも、黒レースだったり裾にビーズがついていたりするデザインを選び、口紅は当然のこと、マスカラまでしっかり塗る。それが第2だと、そのまま歩いて帰れるような服や、どうせ腕や楽器で隠れるからといってTシャツで舞台に出てしまう人さえいる。男性はもともと人数が少ないものだが、無精髭(ひげ)を伸ばしっ放しにして、そのうちそれが売り物になったりするのだ。

 実は彼らは学生時代には、誰もが両方のパートを経験するものである。授業などでは本日の分担が決まっていて、更に曲によっても替わったりする。だからどちらでも弾けるようなものだが、やはり栴檀(せんだん)は双葉より…の譬(たとえ)どおり、その人の持つ個性がはっきり分かれるものらしい。

 確かに第2の難しさ――合奏の中での対応力など多々あり、こうした体験によって、第1と認定された人でも、決して第2のことを悪くは言わない。むしろ労(ねぎら)いの言葉をかける程なのだが、当の第2奏者たちは、自分の仕事を卑下する態度に行き着くのである。仲良くなるなら第2の人、とは思うのだが、心を割って話せるようになる迄(まで)に時間がかかりそうだ。

 ひとつの楽器の中で、並び順が後ろになるほど技術的水準が低くなるもので、ということは第2の一番後ろの内側の人が、そうだということになる。定年までに是非インタビューをしてみたいと思うのはBだけではないだろう。世の中全ての人々に勇気を与える存在だからである。

 ヴァイオリンばかりではない。木管楽器にも第1、第2奏者の区別があって、これは給料すら違うのだ! ときには第3という席次もあるが、この場合は派生楽器と呼ばれるピッコロなどの特別な演奏技術を必要とされ一目置かれるが、第2はここでも音の上では日陰である。ただし客席からは見える位置に座っているのでヴァイオリンよりはましであろう。

 第2ヴァイオリンの人には、是非オーケストラから離れた日には個人のリサイタルを開いて欲しい。そうすれば幼年期からの苛酷な修練を充分に活(い)かすことができるからである。

※B:ブルーアイランド=青島
(2012年4月24日 読売新聞)