藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

視野の広さ

学生さんの就職相談を聞いていて最近特に思う。
誰も彼も「一流企業からの内定獲得」しか眼中にないようなのだ。
(まあ自分もそうだったか、と失笑するけど。)
今の時代、政治家を志せとは言わないが、もう少し考える幅を広げても良いのではないかと思えて仕方ない。

何か、時代が世知辛く(というか一番豊かなのに、もうあまり市場が拡大しない見通しに)なったせいか、どうも若者の気持ちが”縮んで”射るような気がして仕方ない。
自分の若かりし二十数年前も「いっちょ起業したるか」という人は少なかったが、少なくとも「正社員に、ともかく!なる!」ということを声高に言う人はいなかった。

今は「内定、正社員、福利厚生、研修」といったワードが、学生さんからポンポン出てくる。
昔は「就職面接で研修の施しについて訊くのはNG」と言われたものだが、今は開口一番「御社の研修体制について聞かせてください」という質問が出てくる時代である。

そうした事態は、大学生や院生にとどまらず、弁護士などの士業や、キャリアの中途採用にも及んでいる。
そして、企業の側もそうした質問に的確に答えられねば、なかなか来ていただけないご時世でもあるのだ。

雇う側も、雇われる側も、何かおっかなびっくりで、「お互いにリスクを最小限にしたい」というような基準が幅を利かせているように思う。
就職も、人間関係も、つまるところは「相手の性格次第」である。
というか”それ”がもっとも大事だろうと思う。

まず、相手の会社とか、付き合う相手が自分の納得いくものかどうか。
また、自分はその相手にふさわしいと言えるのかどうか。

そんなことが、一番重要なのではないかと思う。

相手が会社であれば、その会社の「経営者や社風」に賛同できるかどうか。
その一点で伴侶を決めても、そう後悔はしないのではないだろうか。
自分も経験があるが、やれ「伸びている業界がいい」とか「大手が良い」とか「給与が良い」とか「福利厚生が良い」とか、とかく比較をしだせばきりがなく、またそのうち「比較している根拠そのもの」も怪しくなってくるものである。

リスクや諸条件の比較ではなく、「バチッ」と相手と相性が合うかどうか。
そんな視点で将来の進路は決めていいのだと思う。
そして、その時の覚悟は、その後の頑張りなどにも影響してくるものなのだ。
人生は足し算と引き算で決まるものではない。