藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の過ごし方。

先天性四肢切断を患った乙武洋匡さんのコラム。asahi.comより。

小学校の教諭でもあった乙武さんの言葉。
「君にもすぐに会いに行き、いいところをいっぱい見つけて、「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい。でも、そうもいかないから、ここで伝えておくね。」

誰にでも、合う人、合わない人の両方がいて、どちらの人たちの間に身を置くかで、毎日の楽しさや輝きは全然違う。
君にも、将来出会うはずの仲間がいる。
人生が輝き出す日は必ず来る。生きよう。学校を休んだって転校したっていい。

ハタと思う。
こういう言葉は劇薬である。
こうしたメッセージに、ついつい免罪を求めてしまう弱さが自分たちにはあると思う。
「どうにかなるさ」、と自分の弱みに甘えを与えてしまうのだ。
けれど、劇薬はある場面では劇的に効く。
諦めるな。

そしてもう一つ。

すぐできることを一つ、教えてあげるね。
君が受けているいじめをノートに書いてみるんだ。誰が何をしたか。周りはどう反応したか。君はどんな気持ちだったか。できれば、毎日書き続けよう。
書けば気持ちが整理できる。何がつらく、自分がどうしたいか、どうしてほしいかが見えてくる。問題がこじれたときには、君を守る証拠にもなる。そして何より、その記録の厚みは、君が耐えに耐えてきた強さの証しになるんだ。(おとたけ・ひろただ=作家)

実は自分も似たようなことをしたことがある。
多分小学校高学年から、中学二年くらいまで。
思えば、ちょっと周囲になじめずいじめられていたのだと思う。

よく「分かっていないくせに!」とか「間違っていないのはおれだ!」とか「いまにみていろ」などと白紙に書いて、机の引き出しにしまっておいたのである。
(それが残っていれば、今から分析できて面白かったのだが、残念ながら実家にもなかった)
けっこう苦しかった当時の自分の気持ちは、親にも友人にも相談できず、ただ「紙に書きなぐっていた」と思う。
そうして紙に転写することによって、はけ口にしていたのかもしれない。
そして、それはなにより「自分の気持ちの客観性の記録」にもなる。

自分が、周囲から謗られたのは、自分の協調性のなさなのか、それとも誤りなのか。
「自分は何をしているのか」ということについて、きちんと記録を残しておく、ということは、後々自分のためになるものである。
「昔は俺も若かった」とはオジサンの常とう句であるが、実際「何がどう変遷してきたのか」ということは、実は記録としては残っていない。

日々の日記の効用が見直されているが、ともかく「自分の記録」について、少しづつ残してゆくことは、後々の自分のためにもなる。
ブログなどはそのためにはとっても便利なtoolなのである。

《いじめられている君へ》乙武洋匡さん
■人生が輝く日 必ず来る
 生きていても楽しいことなんてない。君は、そう思うかな。でも、君がつらい目にあっているのは、だめな人間だからでも、劣っている人間だからでもない。
 僕は2007年から3年間、小学校の先生をしていた。当時の教え子は23人いて、みんな今、中学1年だ。どの子にも、いいところがいっぱいあるのを僕はよく知ってる。
 君にもすぐに会いに行き、いいところをいっぱい見つけて、「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい。でも、そうもいかないから、ここで伝えておくね。
僕は先天性四肢切断という障害で両手両足がない。でも僕を認め、必要としてくれる家族や仲間のおかげで幸せに過ごしてきた。
僕を認めない人、嫌う人、批判する人もたくさんいる。先生だったころは、同僚の先生たちと考えが合わず、否定されてばかりでしんどかった。
誰にでも、合う人、合わない人の両方がいて、どちらの人たちの間に身を置くかで、毎日の楽しさや輝きは全然違う。君にも、将来出会うはずの仲間がいる。人生が輝き出す日は必ず来る。生きよう。学校を休んだって転校したっていい。
すぐできることを一つ、教えてあげるね。
君が受けているいじめをノートに書いてみるんだ。誰が何をしたか。周りはどう反応したか。君はどんな気持ちだったか。できれば、毎日書き続けよう。
書けば気持ちが整理できる。何がつらく、自分がどうしたいか、どうしてほしいかが見えてくる。問題がこじれたときには、君を守る証拠にもなる。そして何より、その記録の厚みは、君が耐えに耐えてきた強さの証しになるんだ。(おとたけ・ひろただ=作家)