藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自由と拘束。

旧友と数人で居酒屋。
それぞれ数年ぶりに会うので、まずは近況報告から。
内容も大分枯れている。
「俺は部長止まり決定」
「俺は課長まで」
「俺は来年から海外の子会社行き」
「何としてもあと十年しがみ付くで」
「俺は公務員やし」
お互いを笑いあうのは関西人の習い、性だけれどどうにも覇気に欠ける。

いつも一番家庭の愚痴をこぼしていた一人が言う。
I君「別れたんだが、どうにも持て余して」
K君「なんとも羨ましいね」
N君「確かに。今さらうちは無理」
Mさん「私は独身だからねー」

そしてI君「悲しいほど自由なんだ」
一同「…」
それまでの苦しい頃の思い出と、果たして今の選択が良かったのかという不安。
それぞれが、それぞれに、自分に照らして何かを感じていた。
もっと軽口な会話に発展するはずだったのが、ちょっとしんみり。

同世代の、しかも同じ場所で生きてきた仲間の気持ちを聞くのは、赤の他人の話と違って感慨深い。

自由と不自由、というかこれって「権利と義務の関係」に似ているのかもしれない。
限りなく自由ならあまり義務もない。
その代わり権利もあまりない。

持てばそれだけ義理もある、というのは"フーテンの寅さん"から変わらぬ法則なのだろう。