藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

落語家への夢。

元警官で落語家の三流亭楽々さんが名人入りしたという。
ネタは氏が昔取った杵柄、「交番ネタ」。
こうした職業経験×お笑い、というスタイルはこれからもますます流行るのではないだろうか。

思えば、大学を出て就職先がなければ落語家になりたかった自分。
大学の落研やライブハウスの前座などをみても「ああ、俺ならあそこ、こういう風に言うのに」と他人さまの演技を見て、脚本家になったようなつもりでいたことを思い出す。

ビジネスの世界もそうした「ネタ」の競争である。
プレゼンテーションという言葉は25年前の日本では"??"な言葉だったが、今「プレゼン」と聞いて知らない人は少ない。
そのプレゼンの世界も、どんどん「ネタ化」していると思う。

より簡潔に、より分かりやすく、そして面白く。
興味を惹かないプレゼンなど意味がない。
そんな風に現代のビジネス社会も変わってきている。

お笑いの名人に聞くと「全ての人を笑わせるネタなど存在しない」という。
笑い、つまり「そのネタに対して笑うか笑わないか」というのは、聞く側の性質に負うところも大きく、だから「だれでも笑う話」ではなく、しかし「より多くの人が、よりワッと湧くネタ」を探すということらしい。
その場の聴衆の「より多くの人の心をつかむ」ということでは、ビジネスのプレゼンでも、落語の前座でも同じことである。

そして、自分たちの生活や仕事の"日常にあることを笑いにしてゆく"、というのは上記の条件を満たして「多くの人の共感」を得るのではないだろうか。
サラリーマンNEOだけではない、まだまだ自分たちの日常には「おもろいこと」が眠っているのに違いない。

元警官が落語家日本一に 新潟の三流亭楽々さん
昨年春に新潟県警を退職した元警察官で新潟市秋葉区の三流亭楽々さん(本名・入山隆さん)(58)が大阪府池田市で開かれた「第4回社会人落語日本一決定戦」で最優秀の名人に輝いた。昨年初出場して2位だった楽々さんは「前回より笑いが少なくてダメかと思ったので、びっくりするばかり」と笑顔で語った。
 楽々さんは1954年、新潟市中央区出身。幼い頃からお笑いが大好きで、よく自作のコントを友達に披露した。中学で放送劇部、高校では演劇部に入り、役者を目指すことも考えたが、通常生活していては知ることができない様々な人と出会いたいと思い、72年に県警に入った。
 最初に配属された旧水原署(現在の阿賀野署)で、落語好きの学生と親しくなり、自分でも演じるようになった。「真面目な話は誰も聞かないが、笑えたら印象に残るはず」と、交通安全や詐欺防止を題材にした落語を発表、好評を博した。新潟西署では地域課長を務めながら、休日は県内各署を回ってキャンペーンなどで高座に上がったが、体調を崩したことを機に早期退職し、落語に専念することにした。
 8日に開かれた社会人落語日本一決定戦で演じたのは、おばあさんがスマートフォンツイッターを駆使して交番の警察官を困らせる創作落語。昨年の大会直後から構想を練ってきた落語だった。
 警察官時代に「冷蔵庫の中にあった物が少し動かされている。泥棒が入ったはず」などと勘違いで被害を訴えられたことなど、対処に困る相談をネタにした。一人暮らしの高齢者や孤独死の問題にも触れ、切なさを訴えるおばあさんを感情豊かに演じ、審査員から「情景が浮かぶようだ」と評されたという。
 現在も県防犯アドバイザーとして振り込め詐欺防止や施錠を呼びかける落語のほか、古典や新作など幅広く演じる。4代目名人の称号を得たことについて、「下手な演技はできず、喜び以上に重責を感じる」と気を引き締めるが、「お客が笑うと自分も楽しい。これからも『とにかく笑った』と言ってもらえる落語を目指したい」と話している。
(2012年9月17日 読売新聞)