色んな笑いの構造が説明されてきたが、まだ終わりではないと思う。
お正月、久しぶりにテレビのお笑い番組を見て驚いた。
まず知らない若手芸人の圧倒的な数と、その内容の専門性に。
専門性と言ってもお笑いが高度化している、というよりは暴露化していると言った方がいい感じだ。
「ここではツッコミは入りません」とか
「ここからがコントやろ!」とかずい分仕掛けが構造化しているような気がした。
ともかく昔の「最近面白いことある?。あ、ご近所の奥さんが…」みたいな庶民ネタとはずい分異なる。
どんどんと内容が刺激的で、速く、グロテスクになっているような気もした。
すぐに笑えるようなネタにしか反応しない視聴者、というのは批判的な言い方だろうか。
それにしてもコントあり、虚をつく意外型あり、繰り返しつつの擬態あり、理不尽ネタあり、よくも人はこれだけお笑いを編みだし、そしてまたそれに笑えるのが不思議に感じて仕方がない。
一体笑いとは何だろう。
どんなネタも勘違いとか、ボケとか、ホラとか驚きとかいうことの表現である。
漫才もコントも落語も「もうネタが出尽くして誰も笑わなくなった」というの聞いたことがない。
自分たちは常に笑っていられるのはどういう仕掛けだろうなどと考える。
あ、もちろん世界に一冊として「同じ小説」なんてないからお笑いのネタだって無数に編み出せるものなのかもしれないけれど。