藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

合理化の悪魔

*[ウェブ進化論]そぎ落とした時間。

昨年はコロナの影響でなんでも「リモート」と「動画化(ストリーミング)」が進んだ。

休日に無料セミナー三つ、なんてのも平気で申し込める。

あらゆる人が「知識を動画にアップする」ことによって、自分たちの知識の摂取量は確実に増える傾向にある。

そして「なんでもオンライン」でテレワークとかが普通になってくると、改めて「本当に必要なアナログは何か」という話になってくる。

もう「相手に合わせた時間の共有」はなくなってゆくのではないだろうか。

例えば三時間のセミナーでも聞きたい部分は一時間くらい。

提案のプレゼンも、重要なのはせいぜい三分の一くらいだ。

何でも"ムダ"を削ぎ落とす。

そんな習慣が身についてしまったのだ。

 

映画とか、落語とか音楽とかの「楽しむ時間」はさすがに時間を削れないけれど、そういう「楽しみの時間以外」はもう合理化の波を避けては通れないように思う。

時間は誰にとっても有限で平等だから「節約して自分の時間がプラスになる」ということに気づいてしまえば、「貯金」ができるお金なんかよりも、よほど貴重だということに気づくだろう。

 

そしてそうして増やした自分の時間を、自分で好きに「ボーッと過ごす」というのは全然無駄ではないぞ、と思うのは究極の自由なのだ。