藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の過ごし方。

二十代の人に。
「これからの60年、何に時間を使いますか?」と訊いてみた。
「そう言われても漠然としていて・・・」
そりゃそうだろう。

でも絞って考えてみる。
一日6-8時間の睡眠時間。
食事、風呂、その他の業務時間。
つまり一日の「十四時間くらい」がいろいろと工夫に値する対象なのである。

でも時間は有限で、気が付いたら「うっかり」過ぎているもの。
仕事とか、家族とか、友人とか、趣味とか、勉強とか、ボランティアとか。
仕事をしていたら十四時間のうちの十二時間くらいは取られてしまうかもしれない。
でもそれは、それだけ「仕事に打ち込んでいる」ということでもある。
それが今のベストなら、そういう選択もあっていい。

時間配分のゲーム。

結局人生とはそういうことだろうか。
まず、皆に等しく「与えられた時間」がある。
実は「それをこれからどう使うか」に頭をひねるゲーム。
ただし、道は一定ではない。
戦争があった、とか
大病を患った、とか
良い異性と出会って恋に落ちた、とか
「外部要因」は刻々と変化して自分に影響を及ぼす。

そんなことに対応しながらも、「これからの時間をどう使うか?」ということを考えるのが人生ゲームではないか。

そう思えば、生きることにもちょっとワクワクしないだろうか。
自分の「未来予想師」に自分自身がなるのである。
特徴は「言いっ放し」ではないこと。
自分の人生は、かなりの部分自分でドライブできるから。

だからその代り、自分の人生の船長は自分なので、それなりに責任を持たねばならない。
運命を呪って他人にフラストレーションをぶつけるようなことは慎みたい。
その代りに"自分の船"をドライブしている充実感と解放感とスリルを味わう「眼」でいたいと思うのだ。
(つづく)