日本人のワイン醸造家、楠田さんの特集記事。
世界レベルに評価の上がってきたワインづくりをする日本人。
不思議にこのレベルになると、ネガティヴな評はなくなり、また注目するメディアも増えてくる。
本人はまったく企まずとも、「本当の技術」とか「真剣さ」というのはそういう風に世間の耳目を集めてくるものなのだ。
車づくりも、時代を後十年以上経て、ついにアメリカ、欧州の車の「質・風格・伝統」といったものすべてに対峙できる時代になってきた。
ワインという「フランスの聖地」についても同様。
「細かすぎる」と現地の作り手に言われるほどのクオリティをこなす楠田さん。
その仕事ぶりとペースを見ると、「細かい作業を積み重ねる」という特性は日本に向いているのかもしれない。
そうした「得体のしれない気遣い」をこれからのビジネスの特徴にしてゆかねばならないと思っている。
ワイン新興国NZで脚光 日本人の赤、繊細さ醸す
2012/11/3
ワイン新興国として台頭するニュージーランドで日本人ワイン醸造家が脚光を浴びている。ブドウを一粒ずつ吟味して良い粒だけを使う「日本人ならではのこだわり」が繊細な味のワインを生む。それを支えるのも日本から手伝いに駆けつける仲間たちだ。日本人の結束力が生んだワインは世界で名声を得ている。
ブドウ畑で摘み取り作業をするワイン醸造家の楠田さん(ニュージーランド北島マーティンボロ)
ニュージーランド北島の南端マーティンボロはピノ・ノワールの赤ワインが有名だ。「日本人でも最高のワインが造れると証明したい」。醸造家の楠田浩之さん(47)は家族とともにあえてワイン新興国への移住を選び、2001年10月にワイナリー「クスダ・ワインズ」を設立した。40人ほどの友人らが数千万円を出資した。
翌年に最初のワインを造ってから今年で10年。05年は不作で生産できなかった。造るのはピノ・ノワールやシラーなど赤ワインが中心で1本8千〜9千円前後。世界の批評家に高い評価を得た。日本航空の国際線ファーストクラスにも採用された。
学生時代から兄と一緒にワインにのめり込んだ。富士通やオーストラリア・シドニー総領事館での勤務を経て、造り手への転身を志し、32歳でドイツの有名大学の門をたたいた。同窓生の誘いもありニュージーランドに移住したのだ。
畑でブドウを育て、収穫して果汁を搾って発酵させて、びん詰めする。常に天候を気遣うという難しさがあるが「全てを自分の設定でやれるのがワイン造りの魅力だ」。中でもこだわりの一つはブドウの最高の味を引き出すための細やかな収穫と実の選び方だ。
5月、ブドウ畑にハサミと鳥のさえずりが響く。楠田さんと7人の日本人ボランティアが黙々と収穫作業を進めていた。ブドウの房を手に取り、一粒ずつ確認し、菌や傷がついているものはハサミで切り落としてしまう。そうした粒はワインを渋くしてしまうためだ。地元では当初「あまりにきちょうめん」と指摘されたが、いまは理解が広がった。
「日本人としての自負心が満たされる」。楠田さんのワイン造りに3回参加した東京都の会社員、栗橋恵都子さん(45)はこう振り返る。楠田さんの兄が教えるワイン学校の生徒だった縁で参加した。一度の渡航・滞在費用は約25万円だが「収穫体験は高いワインをたくさん飲むよりも貴重です」と話す。シェフやワインショップ経営者らに加え、ワインに詳しくない人にもボランティアの輪が広がっている。
生産量は年間1万〜1万5000本と最も規模の小さなワイナリーの一つだ。「この規模では普通なら経営は簡単ではない」。6割を日本で売っていることに加え、日本人ボランティアという質が高い労働力の存在は大きい。
9月、楠田さんは日本に一時帰国し、支援者らと東京や大阪などで10周年を祝った。細かい作業を積み重ねて造ったワインは長期熟成できるため、数十年後に、もっと大きな評価を得ているかもしれない。
(シドニー=柳迫勇人)