藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

いなせな男。

いな‐せ【鯔背】 [名・形動]いきで、勇み肌で、さっぱりしているさま。また、その容姿や、そういう気風の若者。「―な兄い」

余りにも若く、また慕われていた人柄が一しきりの悲しみを誘う。
勘九郎の人望のほどが偲ばれる一連の声。
演劇界に限らず、有る組織のリーダーの急逝は、その重要性と同時に「その存在の意味」を業界に問う。
自らがリーダーであればどのように考えるのか。
逝ったリーダーの意味はどれほどのものであったのか。

そんなことを考える訃報である。

「鯔背なかたでした」椎名林檎さん〈勘三郎さん死去〉
コクーン歌舞伎」に楽曲を提供した椎名林檎さん 残念でなりません。果たせず仕舞(じま)いの約束を思うと、落胆するばかりです。さきほどお顔を拝見いたしましたが、未(いま)だ現実を受け入れられずに居ります。ほんとうの人生に言い訳など無用なのだと思い知るほかないからです。

 私にとって彼は、親兄弟を除き最も親身になってお導きくださったかたです。偉大な開拓者で居られますが、同時に、私のような青二才へさまざまなことを惜しみなく与えてくださる、気さくなせんせいでもいらっしゃったのです。

 ご一緒させて戴(いただ)くひとときは、とくべつなものでした。芸のことはもちろん、食や言語を含む幅広い文化に関して、また、子供の教育をはじめとする家庭に関して、或(ある)いは、誰かを好きになるという一大事に関してなどなど、議題には事欠かなかったものです。数多(あまた)の教えをすべて、生きているうちに、この身へインストールし切れるだろうか・・いまは、己が疑わしくて仕方ありません。

 そうそう、寄辺(よるべ)無い自己を直視する機会も、よく彼が作ってくださいました。あのかたは結局省エネ知らずで命を前借りし続け、孤高に突き進んだかたです。だからこそ、他者を孤独に追い遣(や)るようなことを、決してなさいませんでした。つまり、無責任に褒めそやすのではなく、たくさん叱ってもくださったのです。本質的に味方するか/関与しないか。常々覚悟の決まった鯔背(いなせ)なかたでした。