藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の性質について考える。

守りに入る、とよく表現されるがご当人が「そのこと」に気づいているケースは意外に少ないものである。
だからこそ指摘される点なのだが、それにしても以前はバリバリの挑戦者だったという人が、年とともに、あるいは経験を積むと共に「保守に傾く」のはある種仕方のないことである。

なぜなら、経験を積むというこういこそが、「過去の集積から物事を判断する」ということだからである。
いくら経験知を積んでも「未来のこと」は予測しにくい。
新しいことは「過去の経験値」では計り知れないことが多いのである。

過去から知りえるのは、ほとんどすべてが「過去の獲得情報から類推できるタイプの知恵」である。
だから、小売店が同様のことを規模を変えて実施する、とか場所や扱う品目を変化させる、というのはまだ経験値が活かしやすいが、まったく未知のネット販売に進出するとか、物流業も手がける、などとなるとそこの思わぬ落とし穴に気づかぬことも多いだろう。

そして。
そして、そうしたことを知っているがゆえに、自分では全く意識せず(いやむしろ知りながらも)知らず知らずに「経験値で判断できる保守寄り」に行動が向かってしまうのである。

人にもよると思うが、冒険が必要のない人々にとっては、むしろ冒険しない方が失敗も少ない。
どこで「冒険が必要か否か」、今風にいえばイノベーションの必要な人と必要でない人に分かれるのか?はなかなか興味深いテーマだけれども、ともかく現在の自分にとって「革新」が必要な人にとっては、よほど意識していないと「知らずに守りにはいっている自分」に傾く恐れがあると思っていい。
(つづく)