藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

青島広志のクラシック丸かじりより。
スポーツ選手になって身を立てる、ということがどれほど困難なことか、は広く知られていると思うが、音楽も同様。

自分は最近こういう職業を「才能だけで生きる職業」と呼んでいる。

苛烈なことこの上なく。
一般ビジネスマンのようにある程度「生きていくための方法論」が確立している仕事はよほど楽なものに感じてしまう。
まあ実はそんなこともないのだけれど。
それにしても、ある程度の常識とか、協調性とか、筆記やレポートなどの事務処理能力があれば、あるいみ「適当な配置」に仕事をさせてくれる一般職と違い、こうしたミュージシャンやスポーツ選手の「その世界で許容される範囲」は圧倒的に狭く感じる。

それだけ自らの力を試し、またごまかしのない世界だと思うが、そうした「特別な才能」のない人にとっては過酷だしそもそも参入のチャンスさえ少ない。

才能の世界との違い。

一般のビジネス界と違うのは、オリジナリティの少ない「ある程度の存在」が許容されにくいことではないだろうか。
ビジネス界での仕事の場合、「オリジナリティよりは懸命さ」のようなものが評価される要素が強いと思う。
結果はもちろん重要なのだが「努力しているか」とか「事務的なものが正確にできているか」ということは意外に評価の対象になる。
というのも仕事の中で「そういう部分」が占める部分も少なくないから、そういう部分を担う人もいていいのである。

ビジネス界では、特に今の仕事をライフワークにする気もないが、「まあまあの気分や処遇で働いている人」は案外多いと思う。
だが音楽家やスポーツ選手ほどシビアではなくとも「自分の能力と志向」でどのようなことを一生の糧にしてゆくのかを考えることは必要ではないだろうか。
「私は管理職が得意です」というのは笑えないジョークだが、あまりにも自分の資質と志向を考慮しない日々というのも、いつか大きな齟齬を生むのではないかと思う。
少しでも自分のやれること、やりたいことを追究してゆきたいものである。


青島広志のクラシック丸かじり
ピアニストになるためには――
まずは近親者の手ほどきを受け

イラストレーション・青島広志 (無断転載、模写などを禁じます)
 ピアニストと言っても、様々なタイプが考えられるのだが、管弦楽団の協奏曲にソリストとして迎えられるような存在になるには、どうしたらいいのだろうか。お子さんをピアニストにしたいと思っている親御さんの為(ため)にも書いてみよう。
 まず実家にピアノが備え付けられていることが重要で、才能のある子供なら物心つく以前から、その前に座って音を出したりして遊んでいるだろう。次に近親者の誰かが手ほどきをすること。古今東西の音楽家の殆(ほとん)どは母親から初歩の指導を受けているのである。
 B※の場合は祖父の形見の足踏みオルガンがあり、ラジオの音楽を真似(まね)て弾いていたところ、祖母が付き添ってくれたが、溢(あふ)れんばかりの愛情は有れど、残念乍(なが)ら素人だったので、才能を引き出して貰(もら)えた訳ではなかった。

弟子入りして、孤独な練習を重ね そして、家族だとどうしても甘えが出てしまうので、少し進んだ時期には別に正式な教師に弟子入りすることになる。この場合も知り合いが多い職業――音楽家なら最高、次いで医者・弁護士・教師などステータスが高いと思われている職業に就いている親が有利で、そうでない場合はつてを辿(たど)って入門する。
 最初の内は親が付き添う場合もあり、これは家庭学習に有効だが、ときに我を忘れて叫び出す母親も居るので、教師側としては次第に疎ましくなって来る。大体、小学校高学年の頃には単身で通うようになるが、週1〜2回のレッスンでほぼ1時間の中に、ピアノの他にソルフェージュ(楽譜の読み書き)の訓練も行う。
 そして家での練習だが、課せられる曲の難易度が上がって来ると時間も延び、中・高校生頃には1回8時間などという話も聞く。ピアノを備えた防音室に閉じ込められ、3時間経(た)つと扉の下に穿(うが)たれた穴からお茶とお菓子が差し入れられ、更に3時間すると今度は食事が入っていると言うのである。まるで独房の生活だ。
 だからピアニストになるためには長時間の孤独に耐えなければならない。長じて仕事の場でも、彼または彼女が他人と気安く交わらないのは、こうした幼少期からの体験のせいだろう。また、最新のファッションについても情報を得る暇がないし、あっても買いに行けないので、着る服は発表会のドレスも含め、全て母親の趣味となる。
 現在、超一流となっている40代の女性ピアニストは、デビュー時はあまりにも服が田舎臭いので顰蹙(ひんしゅく)をかっていたが、音楽雑誌の表紙を飾るようになった時点でコーディネーターが付いたらしく、見違える程に垢(あか)抜けていた。

コンクールに出てチャンスをつかむ 年に1〜2回の発表会で、人前で弾く喜びを知ると、次はコンクールに出場することになる。知人が来る発表会とは違って、順位が付くのだから緊張する筈(はず)だが、子供は大人と違って遊びの延長線上で受けるらしく、下位でも年中行事のように受ける子もいる。そこで上位に入賞すれば、もっと難しく権威の高いコンクールを受けることになり、その頃に日本の音楽高校・大学に行くべきか留学するかを選択することになる。
 昭和の時代は、将来大学の教員になるためには、日本の音大を卒業したほうが有利だと言われていたが、現在では海外の大学に進学し、名教授の下で研鑽(けんさん)を積み、そこでまたコンクールで優勝すれば晴れて日本に呼び戻されるようになった。
 もっともただでさえ個人主義のピアニストだから、帰国当初は全く知り合いが居ないが、そこにすり寄ってくるのがマネジャーである。彼らは話題になりそうな旬の演奏家を飼いならして、日本中を引き廻(まわ)すのである。そこで客が付けばしめたもの、翌年も売り込むのだが、残念なことに聴衆は冷たく、「一度見たからもういい」と言うのである。
 例えばA嬢の弾くショパンを聴いたから次はベートーヴェンを、という訳ではなく、次はB氏を、と求めるらしい。現役で残っているというのは何と大変なことなのだろう。一応は尊敬しなくては。
 B※:ブルーアイランド=青島
(2013年1月29日 読売新聞)