藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

繰り返して改善すること。

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)、とかヘイト○○、というワードがお目見えしだしたのはここ半年くらいだろうか。
そうした価値観の波を何度も乗り越えてきているだろうアメリカでも、再び黒人の事件が大きく話題になっている。
大統領もコメントする事態で、これは実はアメリカの「最新の価値観」なのかもしれないと思う。
黒人の大統領が登場し、次は女性か軍人か、という感じだが、大きな動きとしては「開放・平等」への進化ではないかと思うのは楽観的過ぎるだろうか。

リンカーン南北戦争で緒に就いたというアパルトヘイトの解決への取り組みだが、実はリンカーンも本気で実現できる、とは予想せずにいたという話は有名である。
彼が今のアメリカを見たら、やはりその進化に驚くのではないだろうか。

一方、記事はアメリカの「劇場化」を指摘している。
日本の劇場化といえば小泉政権で「旧体制をぶっ壊す」というのが有名だけれど、それからますます日本も劇場化しているようで、「原発NO」とか「生活保護削減」とか、いわゆる二分論で一か八か、という話ばかりが注目され、間の複雑な議論が深まっていかないのである。

アメリカの今回の事件も「差別か否か」という争点に絞り込まれてしまっており、もうこまかな検証が意味をなさなくなっているように見える。
日本も選挙が続くけれど、まったく「右か左か」という政党に、自分たち有権者がキョロキョロしていて、まさに劇場にいるような様相である。

次に落ち着いて考える時代が来ることを信じたい。
それにはやはり政治が変わる必要があると思う。

日本でも、審理の形態は“劇場型”に…
 無罪評決後も余波は続いている。
 ホルダー米司法長官は15日、黒人女性の会合で演説し、ヘイト・クライム禁止を含む公民権関連法の適用が可能かどうかを見極めるため捜査を続けていくと強調。AP通信などによると、全米各地で「人種差別的な評決だ」としてデモが発生している。
 米国の陪審員制度とは異なるものの、日本でも平成21年から裁判員制度が施行された。今年2月の大阪地方裁判所委員会で、委員の一人は「プレゼン技術が非常に重要で、裁判員裁判が始まり、少しオーバーであるが、審理の形態は劇場型に移行していると感じている」と指摘している。
 報道する側も含め、いま米国で起きていることを注視しておく必要がありそうだ。