藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

心も軽く。

あまりに肥大化して重い財布に嫌気がさし、必要最小限へのダウンサイジングを試みる。
そもそも持ち歩く現金など減少の一途をたどっている。
電子マネーやカードやプリペイドなどが発達し、公共交通やタクシー、コンビニやカフェでも現金は登場しなくなってきた。
なのに気がつけば実に夥しい数のショップカードやIDカードが財布には溢れているばかりである。

肥大化してきた歴史

自分が持った生まれて初めての財布は、たしか幼児書の付録についていた、ビニール加工された10センチ角くらいのものだった。
祖父に小銭を入れてもらい、「何か自分の宝物」を持ったような気がしたことを思い出す。


よく占いや風水などでも財布の色とか、形についてコメントするのを見かける。
「大きな財布は収入を上げる」とか「小銭入れは別に携帯せよ」とか。
大きなお世話ではあるが、それにしても毎日持ち歩く物ゆえ、生活スタイルに合わせてここ数十年というもの、自分も結構試行錯誤してきたと思う。

社会人になって以来、「ほぼすべての身分証や銀行カードやクレジット、あらゆるマイレージカード」などを一気に持ち歩く「財布肥大化」生活をしていたのだが、「現金もカードも最小限」に絞ってみた。
とっても快適である。
もうポーチとか大きめのカバンが必携でなくなり、ジーンズのポケットに財布を押し込み手ぶらで出かけられるのだ。

身軽さは日頃の計画性

思えば、「全てのカードや現金」をいつでも携行していたい、という観念の根本は「その日の行動がきちんとイメージできていない」ということだと気がついた。
今日は「髪を切りにいく」ことなどないのにヘアサロンの顧客カードを持ち歩いているのは意味がないのである。
また、その場に携帯していないポイントカード、などについてはもう「ポイント放棄」をした方がよほど煩わしくないであろう。
お店からのお仕着せのポイントシステムに、こちらの生活を合わせる必要などない。

デジタル社会はいろいろとユーザーに付加価値を投げかけてくるけれど、取捨選択するのは自分たちなのだと改めて思った次第である。