藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ムラ社会の気持ち。

冨山和彦さんのコラム。
辛口で無駄のない文章は大のお気に入りである。

どうしてそんなことになったのかといえば、視野が狭いからです。半径5メートルほどの世界で生きて、そこだけにすべての知力、体力を投入する。組織は本来、何かを達成するための手段ですが、それ自体が目的化し、自分の所属する組織を存続させ、そこで出世することが、すべてに優先してしまう。

大企業や高級官僚の体質を言い当てた一言である。
似たようなことは、特に「いわゆるエリート層」で起きていることが多い。
権威があり、プライドが高いために「その立場そのものから転がり落ちる恐怖」に苛まれるのである。

先生、と呼ばれぬと怒り、部長や社長、と呼ばれぬと機嫌を損ねる人たちは案外多い。
冨山氏が「日本人にとって、DNA的に居心地がいい。」と指摘するムラ意識について、氏は説いている。

今、必要なのは、ムラ的なよさを理解しつつも、改革を実行できるリーダーです。

ムラ意識とか、派閥抗争、というのから日本人はどうも離れられないらしい。
自分でもそう思うが、どうしても「個人よりもムラありき」というのが民族性なのである。
"それ"を分かりつつ組織のかじ取りをする、という考えにとても斬新なものを見た気がした。
一面的に組織の効率化とか、顧客第一主義、とか言っていては見えにくい部分である。
組織の理屈を捏ねまわす人に対して、頭から否定的な見方をするのは却って危険なこともあるということで、自分自身にも忘れずにいたいポイントである。

 TBSのドラマ『半沢直樹』が大変な人気です。視聴率が30%を超えているということは、相当に幅広い層から支持されているということ。それは、ゲーム的、マンガ的なストーリー展開に加え、世代を超えた多くの人が「あるある」と共感できるところがあるからです。
 言ってみれば、“クソ・サラリーマン”をめぐる物語です。しかし、バブル期はドラマに出てくる自己保身、他責主義という内向きの行動原理が頂点を極めた時代でもありました。そして舞台となっているかつての銀行は、そうした行動原理によって形作られた、最も完成度の高い組織だった。日本的カイシャの究極の姿、といってもいい。上司におもねり、ウルトラ忠犬ハチ公になる一方、自分の身が危なくなれば、裏切り、陥れることも厭わない……。
 どうしてそんなことになったのかといえば、視野が狭いからです。半径5メートルほどの世界で生きて、そこだけにすべての知力、体力を投入する。組織は本来、何かを達成するための手段ですが、それ自体が目的化し、自分の所属する組織を存続させ、そこで出世することが、すべてに優先してしまう。
 この行動原理は、多くの企業を蝕(むしば)みました。バブル崩壊以降、会社組織はその反省から大きく変わったように見えますが、実は今も本質は変わっていません。帰属意識、相互監視、阻害の恐怖……。私はこれを、“日本的ムラ意識”と呼んでいます。ドラマの人気は、実は多くの人たちが今なお縛られているムラ意識に、エリートの宝庫の大銀行という舞台で敢然と立ち向かう“遠山の金さん”的ヒーローにある。
しかし、今やこのムラ意識が強すぎると企業は本当に立ち行かなくなりつつあります。グローバル競争時代を迎え、ムラ内の調整に手間取っている間にさっさと全滅させられてしまうからです。
 しかし難しいのは、日本的なムラ意識を完全に組織からなくしてしまえばいいのかといえば、そんなことはない、ということです。問題点が多いのは事実ですが、ムラ的なよさもあるからです。それが、日本人にとって、DNA的に居心地がいい。実際、ムラ意識を改革しようとして、失敗した会社が数多くあります。
 今、必要なのは、ムラ的なよさを理解しつつも、改革を実行できるリーダーです。実際、多くの会社が次世代トップ養成に躍起になっています。グローバル競争が激化するなか、これまでのようなムラ長的なリーダーでは、将来がないと気づいているからでしょう。
 ムラ的なよさを残しながらも会社をうまく変革できた実例は結構あります。カルロス・ゴーン社長率いる日産自動車は、その代表例だと思います。ムラの行動様式のプラス面、例えば集団性などは、日本の組織の強みです。国際競争を行ううえでは、これは逆にテコにしたほうがいい。そこまで理解してマネージができれば、ムラ意識はむしろ強みにすらなるのです。
1960年生まれ。東京大学法学部卒。在学中に司法試験合格。スタンフォード大学MBAボストンコンサルティンググループ、コーポレートディレクション代表取締役社長、産業再生機構COOを経て現職。最新刊は「稼ぐ力を取り戻せ!」(日本経済新聞出版社)。